父の宝物 パーカー75シズレ スターリングシルバー
パーカー万年筆、スターリングシルバーの初中期型75シズレは、7~8年前に父親が私にくれたものだ。父が若い頃、勤め先の代表から優績表彰の副賞か何かでもらったもので、彼はこの万年筆をとても大切にして、私などにはけして触らせなかった。
小学生の私は、そんな万年筆を父親が帰宅前に引き出しの奥からひっぱり出して、どこでおぼえたのか勝手知ったるごとくブルーブラックのインクカートリッジをぶっ刺し、床に寝そべってらくがき帳に「ドラえもん」を描いたまま置き忘れてしまったことがあった。カートリッジを刺した段階で既にバレそうなものだが、どうしても見たかった夕方のアニメでもあったのか、父親の万年筆をもとあった場所にこっそり戻しておくのを忘れるなど、うっかりミスにもほどがあった。もちろんのこと、帰宅した父親から私はこっぴどく叱られ、以来銀色の万年筆は父親の手によってどこかへ厳重にしまいこまれて、とんと目にすることがなかった。
格子模様のパーカー75を目にしたのはその時以来だった。家族の誰かの誕生日でもお祝いでもなかったが、ふいに父親は、孫である私の子どもたちにパーカーのジョッターボールペンを一本ずつ、私には数十年ぶりに対面した75シズレを、こちらも数十年間未開封のままの箱入り純正インクカートリッジと一緒にくれた。
「終活」のつもりだったのだろう。墓場に持っては行けないと、実家の応接間のガラスケースに飾ったままコルク栓が朽ちた高級洋酒や年季が入ったSEIKOのドレスウォッチなど、父はありとあらゆるものをことあるごとにくれた。
まさか小学生の時に手にして、ドラえもんの絵描き歌を歌いながら落書きしたあの万年筆が、いま自分の手の中にあるとは。父親の物持ちのよさは折り紙つきだが、その性格はいま完全に子の私に受け継がれている。そして、長年大切にしてきた宝物の品々をほとんど全て私たち家族に譲り渡してしまった父は、今も元気である。
銀の含有率92.5%、スターリングシルバー製の本体は初め、銀製品特有の黒ずみを帯びていた。黒ずみは「硫化銀」、硫黄成分による硫化反応によるものだが、それはそれでシズレの名の由来である細かな格子模様がくっきりと浮かび上がり、古い万年筆らしい味わいを増している。ただ、長年しまいこまれていたせいか、黒ずみは所々がシミのようなまだら模様に変化していて、残念ながら汚く古ぼけて見えた。
メラミンスポンジやコンパウンドで磨いてみたが結果は今ひとつ。磨いた直後は少しだけましになった気がしても、引き出しにしまった後、気がつくとまた黒ずんでいる。
シルバーの輝きを取り戻す方法を探した。アルミホイル、多めの塩、熱湯、台所にある身近な品物ばかりだが、その溶液の中にシズレを沈めてしばらく放置する。まるで化学実験のような方法を半信半疑で試してみると嘘みたいに黒ずみが消えた。それが画像である。驚くべきことに、この処理を経て既に数年、私のパーカー75は黒ずみ問題から解放されている。
この米国製パーカー75シズレは(歴史は古く世界各地で生産された)、海外製にしては日本人の小さな手になじむ細身の軸で、細字のXFニブは画数の多い日本語を書くのに最適である。14金のいわゆる普及品の金ペンながら書き味は硬く、しなりは少ないもののインクフローは豊かでサラサラと書けて心地よい。
高度経済成長期、団塊世代ど真ん中の父親世代は、こんな万年筆を胸ポケットにそろばんを弾いたり、やっと普及し始めたばかりの電卓だけで夜中まで帳簿と格闘したり、手書きの書類にサインしたり、あるいは手紙をしたためたりしていたのかと思うと感慨深い。
ピカピカによみがえった父の万年筆は、引き出しにしまいっぱなしにしておくのはあまりにもったいない。私は時々インクを入れては職場で使っている。そして、懇親会があるようなスケジュールが事前に分かっている時は、その万年筆を絶対に持って行かないことにしている。落としたり置き忘れたりしては大変だから。
さて、いずれこのパーカー75は子どもたちの手に渡ることになるだろう。同級生から誕生日にカクノをもらったのをきっかけにしてか、次に娘はセリアのガラスペンにハマり、最近は色違いのカクノ2本目を手に入れてウキウキである。古い万年筆をながめてニヤニヤしている私とそっくりなのである。