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「トラベラーズノート」というもの
「トラベラーズノート」というものについて、私がこれまで理解していたものと近年の既に様式化した姿との間で多少のズレがあるようだ。
まず、私が理解していた「トラベラーズノート」とは、文字通りトラベル=旅行の思い出を書き残すもの。現地で買ったお土産やチケットの半券などをそのまま貼り付けたり、写真の切り抜きをレイアウトしたり、とくにルールはないが、後で見返して楽しく、旅の思い出を冷静な視点からさらに味わい直すことのできる記録帳である。
ノートの様式についても、もちろんルールがなく、様式化・定型化したものはないと理解していた。ノートのメーカーは不問であり、装丁は言うに及ばないが、無地・罫線・方眼に限らず、ノートのサイズについても大小、縦横寸法を問わない。
私が「トラベラーズノート」というものを知ったのは、黒い装丁のクラシックなモレスキンのノートが、まだ一部で「モールスキン」の名で呼ばれ、呼称が統一されていなかった頃、現在のモレスキン社、あるいはその日本代理店が商品名を正式に「モレスキン」に統一したことを周知させようとしていた頃だった。
2008〜2010年頃のこと、ネット上にはモレスキンの定番、黒いハードカバーとゴムどめのノートの様々な使い方について紹介する記事が既にたくさんあった。もちろんそれまでにも、既にモレスキンは現在のモレスキンとして、日本では映画「アメリ」(2001年)の主人公が使っていたシーンやスクウェアソフトの命運をかけたフルCG大作映画「ファイナルファンタジー」(同じく2001年!)にも登場したノートとして知られていた。見開きで大胆に描いたスケッチ、筆記具を問わず書きつけ着色した見ていて飽きない楽しいノートたち。その中に「トラベラーズノート」があった。今思い返すとそれはモレスキンのシリーズ名では「VOYAGEUR」だったのかもしれない。
モレスキンのそのトラベラーズノートは、きっと想像できるだろう。旅先で食べた弁当やアメの包み紙、旅券、たくさんの写真、紙片を貼り付けられ、美しくレイアウトされた楽しい旅の思い出にあふれていた。そして、膨れ上がった思い出のノートをとめるゴムバンドの伸び切っていること。
しかし、それもまた単なる一例に過ぎず、世界には人それぞれ様々なトラベラーズノートがあり、またあってよいものだった。今だってそうじゃないだろうか?
トラベラーズノートとして販売されているものが必ずしもトラベラーズノートではなく、キャンパスノートだろうがツバメノートだろうが、100均のスケッチブックだろうが、使う人がトラベラーズノートとして使えばなんだってトラベラーズノートなのだ。
noteを始めてわずか2カ月程度でしかないが、他の人のnoteを眺めていると、様式化した「トラベラーズノート」が存在することに気付いた。装丁は本革製であること。細いゴムバンドが横一文字にとめられている仕様であること。パスポートサイズが主流であること。
たどり着いた一つの答えは、あるトラベラーズノート専門店の存在だった。どうも多くの人が言うトラベラーズノートとは、この専門店の商品が由来なのである。
なるほどWEBサイトをのぞくと、サイトの作りは念が入っており、誰もがほしいと思える品揃え。丁寧に説明された始め方、使い方のノウハウ紹介、魅力的な商品提案である。おそらく実店舗もすばらしくおしゃれなしつらえで、接客対応も好印象だろう。これは始めたくなるよな〜。文句なしに、ほしいわ〜。率直に思った。
しかし、である。トラベラーズノートはもっともっと自由なもののはずだった。某おしゃれショップ提案のトラベラーズノートは私もぜひ一冊ほしいところだが、そうじゃない。その店のトラベラーズノートこそが唯一のトラベラーズノートであり他のノートは論外ーとするような様式化は、トラベラーズノート本来の自由な世界とは相反する世界ではないだろうか。もちろん自由な世界でなければならないとする意見もまた自由を束縛する意見でしかないのだが。近頃の様式化・定型化したトラベラーズノートのイメージに触れ、いかにも右に習え的な日本人のありようをまざまざと見たようで、少しだけ気になったのだ。それも明日には忘れてしまうだろう。