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今はただ春にむけて土づくりが楽しい。

(画像は一昨年の夏、うちでとれたエダマメ)
うちは代々の兼業農家で、畑や水田、山に果樹園を持っている。私は子どもの頃から祖父母や父がする仕事を手伝わされ、見たいアニメが見られず遊びにも行けない農業が大嫌いだった。

父は40年以上サラリーマンをしながら祖父の仕事を継いだ。夜遅く帰ってから選別作業や出荷の段取りなどをして、週末は野良仕事に精を出した。

今、私はサラリーマンである。ニューブリテン島で大東亜戦争を戦った祖父はサラリーマンのことを農家と区別するようによく「月給取り」と呼んでいた。

子どもの頃あれほど嫌いだった農業が、おかしなことに今は好きになった。農薬や肥料、土づくりや栽培技術を学んで、より農業のことを詳しく知り始めたことが転機だった。

数年前、父が病気のため田畑や山に手が回らなくなったのをきっかけに、自分1人で米を定植から刈り取りまでやらなければならなくなった年は正直しんどかった。水稲のことだけではないのだ。毎日朝晩、水田管理のほかにも畑を耕しては作物を育て、山は果樹作物の世話をした。様々な機械を操作するのも初めはひと苦労だったが、やればなんとかなるもので、家族の応援もあって、父の体調回復まで何とか仕事を繋ぐことができた。

1人では到底無理な仕事だ。サラリーマンをしながら、農家としての全ての年間作業が、いつまた自分の両肩にかかってくるか分からない。野良仕事だけのことではない。あちこちにある農業用倉庫や機械の維持管理費、肥料農薬の予約注文、運搬用トラックの、それも一台分ではない任意保険料etc. 心配ごとが山のようにある。

実際、なるようにしかならない。多少、農業のことが好きなっても、できることできないことがある。頑張ってどうにかなる世界である一面もあれば、どうにもならない世界という一面もあるのだ。

今は何とか父が山の世話をしてくれているが、いつまでもできる仕事ではない。正月明けの4日、まだ仕事初めにならない先週末も私は父と山にいた。家族も手伝ってくれたので、父は「4日分の仕事がおかげで半日で済んだ」と喜んでいた。年間のたった4日分。あと361日分の仕事が他にもあるということだ。

昨年収穫したばかりの米だが、早くも今年産の稲苗予約注文の取りまとめが来ている。一年があっという間に過ぎていく。

夏の早朝、夜が明ける前に1人で田畑にいる時、私は幸せを感じる。冬の朝晩は暗過ぎて仕事にならない。それでも弁当や朝食用に真っ暗な畑で野菜を収穫する時は楽しい。うちの畑は天然の冷蔵庫で食料の保管場所なのだ。

採れたての新米や畑でいま採れたばかりの立派に育った野菜。自分で食べるときより、家族がおいしいね新鮮だね、と言って喜んでいる時の方が私はうれしい。

葉物野菜が路地で育ちにくい冬は土づくりの時期である。今では作物を育てている時より、土を育てている時の方が楽しい。堆肥や刈り取った草が春には栄養豊富なフカフカの土に変わる。土ができていれば、作物ができたも同然ーとまでは言えないが、土は作物のできを大きく左右する。

周りでは高齢化した農家が次々と亡くなったり引退したり、田畑を集約管理しようとする様々な集落営農組織、生産組合も高齢化で立ち行かなくなっている。時々、都会から若者が農業をしたいとやってくる。地域の行事にひっぱり出されるのは面倒くさそうだが、中には家族に助けられながら生計を立てられるまでに成長した専業の若者もいる。

月給をもらいながらの兼業農家は日本の農家の実に大半を占めている。サラリーマンが基本にあるのではなく、農家としての生活が基本にあって、農業だけで生活ができないためサラリーマンとして外に出た、その方が楽だし、ただ簡単に農家としての生活を手放せないーというところが真実だろう。細々とした農業だけでは生活できない世界なのだ。別にJAが悪いわけじゃない。そのようにしたのは政府の意向だし、消費者はより安いものを望み、中・外食産業は常に低コストで高付加価値を期待できる原材料を求めている。

もっぱら(作物市場でなく)株式市場しか視野にない政財界にとって農業など、とくに兼業農家がどうなろうとどうだって良いのだ。土の手触りも1ヘクタールの田畑がどれだけの広さなのかも知らず、隔月わずかな年金すらもらったことのない政治家や財界人たちが農業のことをとやかく言ったり、どうこうしようとする権利はどこにもない。

今はまだ、農業を好きでいられる。この先は不透明だ。しかし、畑には青々としたブロッコリーや太い大根が収穫の時を待っている。種まきができる春に備えて良い土を作りたい。今はただ、それだけである。

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