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「キツイ奴ら」大好きな昔のテレビドラマが忘れられなくて

小林薫、玉置浩二、篠ひろ子、柳葉敏郎など出演の、1989年頃放映されていたテレビドラマ「キツイ奴ら」が今でも大好きである。何かふとした瞬間に、あの主題歌が頭の中でめぐりはじめ、つい口ずさんでしまう。当時の私の年齢からしたら、サラ金、暴力団、詐欺まがいの訪問販売、金庫破り、女たらしのひも男、地上げ、立ち退き、ショーパブ、いたるところでひっきりなしに吸われているタバコなど、ずいぶん大人びた内容が満載なドラマだが、このドラマにはまり今も忘れられない。

コメディ、人間ドラマ、ロマンス、様々な要素を盛りだくさんに含んだストーリーで、最終話まで飽きることがない。毎回、主人公である大曾根(おおそね)吾郎と小山内(おさない)完次による居酒屋での流しなど歌唱シーンがあり、わずかなシーンだが歌唱力の高さに圧倒される。玉置浩二はもちろんのこと、小林薫もいい味の歌声で楽しいシーンなのだ。

玉置浩二は現在も日本屈指の歌手であるが、柳葉敏郎、篠ひろ子もかつて歌手として活動しているなど、出演者に歌える俳優が多いのも特徴だった(桃井かおりやユーミンの歌まねで人気を博していた清水ミチコを含めて)。「一世風靡セピア」で活躍した柳葉敏郎の印象抜けきらない当時、バットを振り回す「社長」の演技は新鮮だった。「鉄骨飲料」のCMでブレイクしたのはドラマよりも後だったはず、鷲尾いさ子は今見るとものすごくスタイル良く、さすがモデルさんらしい。

出演者には他にも魅力的な俳優陣がそろっている。確認すると、残念ながら既に何人か亡くなられていて時の経過を思い知らされる。(ロバの家のお父さん=前島公平/名古屋章、貴一郎の右腕でご意見番=坂口/深水三章、下っ端ヤクザのコンビのうち大きい方=梅/我王銀次、終盤に登場する隼一族の師匠/今福将雄)

「ヤシからナテラ」のフレーズで一斉を風靡したライオンの台所用洗剤CMでよく見かけた頃をおそらく最後に、芸能界から引退してしまった篠ひろ子演じる前島雪子は吾郎の憧れの人だったが、私にとっても憧れの人だった。いま見ても当時の篠さんは笑顔に愛嬌があり、怒った演技の表情も美しい。年齢を確認すると、当時40歳前後、なんと母親と同年代である。「雪子」の読みは「ユキコ」であるが、漢字表記は本編の中ではロバの家の表札でのみ登場する。放映シーズンが1989年の1~3月と寒い時期と関係があるのかどうかは分からない。雪が降るシーンもあり、吾郎の出身地、岩手へ向かうシーンでは雪深い景色も写る。石油ストーブや電気ストーブなども小道具として多く登場する。肩パッド入りのコートやジャケットもこの時代ならではのファッション。寒々とした都会の冬景色、対照的に登場人物たちは夢や悩みを抱えながら健気に生きる人間味あふれた熱い人々である。

強烈な個性、存在感を漂わせる登場人物たちだが、なかでも抑揚ある独特の話しぶりが印象に残ったロバの家のお父さん役、名古屋章さんといえば、「ウルトラマンタロウ」である。この方、「ZAT」の隊長を務めていた。そうそう、名古屋さんといえば私にとっては、「タロウ」の隊長なのであった。「キツイ奴ら」では第1話から最終話まで、名古屋さんが登場しなかった回はなかったのではないだろうか。2003年に亡くなったのが惜しまれてしかたない。名古屋さんのいない「キツイ奴ら」はあり得なかっただろう。

思い返しながらネットで確認していると、ひまわり産業にある金庫「CIA7000」を検索したところで、「キツイやつら」ファンサイトを見つけた。2000年代の初めには更新がとまっているようだが閉鎖もされず、古き良き時代の手作りサイトが当時のままにあり、やはり熱心なファンが全国にいるらしいことにうれしくなった。

1989年当時ならではの風景も懐かしい。当然ながら携帯電話がない時代、公衆電話のシーンも多い。トイレこそあるが風呂はなく、銭湯通いのアパート。薄い壁の隣には受験戦争のただなかにある学生と母親がいる。通帳と印鑑だけで本人確認はほぼ不問、たやすく出金できていたと分かるシーンもある。当時はいたのか、流しで客からお金をもらうアーティストが現代にいるとは到底思えないが、現代のYouTuberにでもなれば相当うけるかもしれない。ところかまわず火をつけている喫煙シーンはとにかく多い印象がある。そういう時代だった。

劇中、吾郎が完次に語るシーンの中に、自身の生活信条である「地道」とは何か分かるか、と問うシーンがある。そこで吾郎は「地道とは時給580円ていうことをいうんだよ」と言う。楽して一獲千金をねらうのではなく、苦労しながらキツイながらもコツコツと稼ぎを積み立て暮らしていくことだと言い聞かせるシーンだが、バブル真っ只中、1989年当時の東京の時給を調べると、職場によってはあったのかもしれないが、全国で最も最低賃金の高い東京でもそこまではなく、580円に到達するのは92年まで待たなければならない。90年代になっても地方では時給400円台などざらにあった時代である。

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