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男にはごちゃごちゃした機械を与えておけばよい
着けられる腕は実際、左腕の一本だけなのに、私の宝物入れの引き出しには腕時計が少なくとも13個以上ある。中にはどうしても動かない故障品が2個ほどあるが、思い出の品なので大切に保管してある。その他は常に電池を切らさず、また自動巻きのものはいつでも動かせる状態である。自分では今でも収集癖はないと思っている。コレクターじゃない。子どもの頃、キン肉マン消しゴムを集めたりはしなかったし、ビックリマンチョコにもはまったりしなかった。
どれも高価なものではない。コレクターが喜びそうなものでもない。およそ他人が見て価値があるものではない。それぞれの腕時計に懐かしい思い出があり、個人的な思い入れがあるだけだ。その意味では高価なロレックスや「パテック フィリップ」「オーデマ ピゲ」「ヴァシュロン・コンスタンタン」よりも、私にとっては価値ある腕時計たちなのである。
上の画像は中でもクロノグラフだけを集めてみた。最も古いもので25年前のもの、新しいものでも購入から15年以上経っている。どれも電池交換だけで、とくにメンテナンスなしに今日まで動いている。
男性はたいてい複雑そうな機械、ごちゃごちゃしたスイッチやボタンが好きなものだ。昔からそう。男にはごちゃごちゃした機械を与えておけば良い。格言である。クロノグラフタイプの腕時計のダイヤル(文字盤)の中には、ストップウォッチ表示や日付表示があり、たくさんの目盛りと複数本の針が並んでいて、私たちはこれらを見るだけで、なぜかワクワクして、つい触ってみたくなるのだ。
そういうわけでクロノグラフが少なくとも4本ある。本当はたくさん思い出話があるのだが、それを書き記していくと夜が明けてしまう。興味がない家人にとってはクロノグラフ以外の腕時計も全部同じに見えるらしく、仕事につけていく時計を選んでいると必ず、どれも一緒!となじられるのである。違うし。
クロノグラフばかりが好きなのではない。シンプルで小さなダイヤルの三針式が好きだ。これまでどれだけの種類の腕時計を着けてきたのだったか。一番古い記憶は、ドラえもんが釣竿をかついだイラストがダイヤルにプリントされたQ&Q(シチズン)の手巻き式だった。そしてミニーマウスの腕が時針・分針になったレディース。時計本体をバンドから外せてロボットの形に変形させられるミクロマンのウォッチロボ。中には家族に整理され捨てられてしまったものもあるが、一つひとつ思い出せば、ゆうに25本を超えている。けして裕福な家庭ではなかった。むしろ両親や祖父母、曽祖父母らは贅沢を許さなかった。もらったものをのぞけば、幼い頃の私のために買ってもらったのは唯一、ドラえもんの腕時計だけだった。(セイコー・アベニューを買ってもらったじゃないか)
安物買いの銭失い、という格言がある。安いから買っているわけではないのだ。と、言い訳を考えている。どうしてもほしくて買ったものばかりだし。できるものは電池を取り寄せ、自分で電池交換しているが高いものではない。一度購入するとそれこそ10年20年と使い続けているわけだから、メルカリなどに出す気は全くないが、もとはとっているんじゃないだろうか。
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もちろん家族は私の宝物の引き出しを知っているので、いまさら驚くようなことは何もないが、いつか私が死んだら、みんな呆れかえるだろうなぁ。燃えないものは火葬してもらえないので、使えるものは使っていただいて。それまでに全部、自分で他人にあげてしまうか、捨ててしまうかするだろうか。シンプルな三針式が一つだけあればいい、なんて格好よさげなことを言いたくなるが、今はまだ思い出ばかり、手放せないものばかりで困ってしまう。
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