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「死ぬ時」を人は選んでいる

こんにちは
わたしは緩和ケア病棟の看護師として1000人以上の方の最期の時に関わってきました

その経験から確信しているのは

「亡くなる時を自分で選んでいる」


看護師の仕事をしていると不思議な体験をすることも多いです
例えば、「あと1.2日かな」という状態なんだけど、お孫さんの運動会が明日で娘さんが面会に来れないって心配しているのを聞いて


ふっと「あ、この患者さんは明日は絶対に亡くならないな」みたいな第6感みたいなものが働く瞬間があるんです。


到底、大丈夫ですよなんてご家族に言えないので
「きっと、待っててくれますよ」なんて言ったり
「最後の時を見守るのがすべてではないです」と声をかけたりするけど


心の中では「明日は絶対に亡くならないな」って思っているわけです案の定、お孫さんの運動会の日は状態が安定していてその次の日にご家族に見守られながら逝かれました


今思い返せば、
「あぁ、大丈夫だから安心していって来ていいよ」って患者さんが私の口を通して伝えたかったのかな、なんて思ったりします。


人は最期のエピソードをちゃんと決めてます
会いたい人に会ってから逝くのか
心配させないように一人で行くのか
いつ、何時ごろ逝くかも決めている方もいます

だからこそ、思うのが

‘あの時看取ってあげられなかった‘

と後悔する必要はないと思うんです


どんなエピソードで旅立つのかご本人がすでに決めているから


看取れなかったのではなく、そうやって逝くことを選んだんです


それはもしかしたら
ご本人の優しさや、強さや、恥ずかしさや、気難しさや不器用さなのかも知らませんが、とにもかくにもそうやって逝きたいと願い、魂へ還っていたんでしょう


看護師という医療の中にいると
エビデンスや根拠、目的、固定概念、べきねばに無意識に縛られ
スピりチャリティーというものを失ってしまいがちですが、
不思議な体験を重ねていくと、説明できない目に見えない世界の話しが身近に感じる瞬間があります

魂は生まれる時を選び、そして還るときも選んでいる


これは説明しようがないけど
確かなことなんだろうな、と感覚で捉えています


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