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フランツ・カフカの小説 「城」についての個人的な解釈【他の作家の考察もあり】

最近、文学の考察をサボってしまっていた。
これからは、持続するように努めなければ………汗

前回のブログで、記したように私はフランツ・カフカの小説を好んでいる。【太宰治の小説も好きである】
なので、今回もカフカの小説「城」について考察していく。

個人的に、カフカの小説は色々な解釈があるので、それらを小説を実際に照らし合わせて読んでみるととても面白い。


この小説についての概要


『城』は、1922年にカフカによって執筆された未完の長編小説である。

あらすじ

測量師のKは深い雪の中に横たわる村に到着するが、仕事を依頼された城の伯爵家からは何の連絡もない。村での生活が始まると、村長に翻弄されたり、正体不明の助手をつけられたり、はては宿屋の酒場で働く女性と同棲する羽目に陥る。しかし、神秘的な"城"は外来者Kに対して永遠にその門を開こうとしない…。

…………主人公が翻弄される(不条理な目に遭う)だけの小説の何処が面白いのかと思った読者へ。

私は声を大きくして言いたい。
そこが面白いのだ!…と。

それは、このブログを読み終えてから
「あぁ、こういうことか!」と思ってくれたら私は嬉しい。

まず、数々の作家たちから見たカフカ『城』の解釈

① マックス・ブロートの解釈

マックス・ブロート氏は、オーストリア出身のユダヤ系作家【文芸・音楽評論家、作曲家】である。

生前は、数多の小説を書いた作家として知られていたが、現在は主にフランツ・カフカの友人であり、
世界にカフカを紹介した人物として知られている。

1924年にカフカは、病【結核】悪化により40才で亡くなり、ブロート氏はカフカの遺稿の管理人となった。カフカは死ぬ前にブロート氏に
「自分が書いた作品を全て燃やして欲しい」とお願いしたが、彼は結局、カフカの作品を燃やさず世界に公表したのだった。


ブロートはカフカ文学全体を宗教的・ユダヤ教的視角から解釈しようとしており、『城』についても人間と神の関係から読み解こうとしている。

・『城』で描かれているのは神性の二つの現象形式――裁きと恩寵――である。一方、村やそこで暮らす人々は、神に対する人間、あるいは人間の運命を表している。【ブロートの考察】

【ちなみに、ブロートの見解はカフカ文学の解釈のなかで最も有名なものである。】

② アルベール・カミュの解釈

カミュはフランスの小説家、哲学者である。
カミュもカフカと同じく不条理文学の代表作家である。
主な代表作→【異邦人、ペストetc…】

アルベール・カミュはカフカ文学と『城』について次のように述べている。

  • 自然らしいものと異常なもの、個人と普遍的なもの、不条理と論理など、これらの間を揺れ動く、普段の動揺がカフカの全作品に見られ、それが彼の作品にある種の響きと意味を与える

  • カフカ文学は不条理さがその特徴であり、その不条理は絶対に克服されることはない

  • しかし、そのような不条理な世界の中にも、『城』では特異な形の希望が導入され、Kが最後に神への恩寵の砂漠の中へ入ろうとする試みも見られる

個人的な私の「城」の解釈

私の解釈では、このカフカの「城」という作品は、
現代人の疎外された姿を、ありのままに描いた傑作
小説だと解釈した。

現代人が、社会の構造、文化に従おうとするほど、社会そのものに排除される。
しかも、「社会性の無い社会」に…だ。

ナンセンスな会話、疎外感、拒絶、実態不明、アイデンテティの喪失、他者を拒む強固な仲間意識、見えないけれど突破できない壁…。

そして、知る程に霞み遠ざかる「城」は「現代社会」そのものではないだろうか。

現代社会の構造をリアルに描き出す…さすが、絶望名人カフカの手腕は流石としか言いようがない。

カフカの作品は現実と夢境の交錯で読者を翻弄する。
意味がわからない。だが、それが良い。

憂鬱を抱えた現代人の体をそっと抱きしめてくれる。それが、フランツ・カフカの作品全般に言える
ことではないだろうか。


では、最後にカフカの名言を書いてこのnoteを締めくくる。

「人間を吟味せよ。疑う者には疑わせ、信じる者には信じさせよ。 」カフカ


【最後まで読んでいただきありがとうございました!】

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