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空を見て癒やされる

『好きなこと』

それは、体の疲れを休めるもの

高校2年生のときの私の言葉。

今の私にこの思考はなかった。当時はどんな気持ちだったのだろう。
作文を読み進めた。

タイトル【好きなことを見つけよう】
                                                
 好きなこと、それは体の疲れを休めるもの。そんなすぐに見つからないかもしれないが、今できる簡単なことは空を見ること。好きなことは人それぞれかもしれないが、私は空を見ているのが好き。空っていつでも見られるものだけど目にはしないもの。でも、ふと見てみるとおもしろい。学校帰り自転車で家に向かっている時、ふと見た空。帰る時間帯がばらばらなので違う明るさが楽しめる。雲にも色々な種類があるし空も色々な雰囲気があって絶対同じ表情はしていない。そんなの当たり前だという人がいるのならその人はその人で別に好きなことを捜してもらうとして、同じ快晴でもその時の気持ち次第で違く見えると思う。
 こんな風に好きなことはちょっとしたことでもいい。空を見上げることならたいていの人ができると思う。今の人達って何かに追われているようにせかせか動いている人がいれば、特に何のやる気もなくてやるべきことだけやってだらだらしている人など色々な人がいて、心の落ち着きの場を持っている人が少ないと思う。私の場合、必要最低限しかやらず、無駄だと思うことはやらない。休みの日は出かける気もなく家にいる。そういう人生もあるとおもうけどなんかつまらないと思う。私自身、つまらないという言葉をよく口にする。特に楽しいこともなくて平凡な日々。でも、つまらなくしているのは自分自身なんじゃないのか、自分で何かしなくちゃ変わらない。これ当たり前のこと。だから好きなことを見つけよう。
 欲張ってもいいから興味を示したものすべてに挑戦してみよう。趣味といえるものじゃなくていいから。だって空を見るのが趣味というのは何か変な感じがしませんか。いるかもしれないですけど。だから好きなこと=趣味とは言い難いのです。別に好きなことが、趣味となってもいいのです。
 本当は自分にこのことを言い聞かせたかった。くだらない毎日と思い、どうせ何かやっても死んでしまえば忘れると思っていた。けれどそれってよくわかんないけど違うと思う。だから自分でも好きなことを持った。引き返せない人生だから楽しもう
 人間の一生のうちに落ち着く期間って年をとってからしかないと思う。受験がおわっても大学では普通に試験もあるし、就職したら働く毎日で何かをやりおえてもまた何かくるに決まっている。それなら日常の生活でできる何か好きなことを見つけるのが一番よいと私は思う。

高校2年生の自分

振り返ると、私は10代の頃から生きることに悩んでいた。
ちょっとでもイヤなことがあると死にたいと簡単に口に出し、誰かが何かを与えてくれることを待っていたんだと思う。

でも人生を楽しいものにするには、自分で変えるしかない。

このことは高校2年生のときには、もうわかっていたはず。
だから『日常に楽しさを見つけよう!』と考えて、自分にも言い聞かせるように作文を書いた。

それなのに40歳を過ぎた自分は、未だに行動できていない。

多くの人は『退職後に〇〇やろう、老後に〇〇やろう』
やりたいことを先送りしている。

いや、違う!今でしょ!今!

あと残り何年の人生か、誰にもわからない。当たり前にいる人や当たり前の空間が、明日もあるとは限らない。

だから今を大事に、自分で心を満たせるように人生を送る。

他人の言葉に振り回されない。
他人軸から自分軸へ。
できる!



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