アきが来てしまった
最近本当に涼しくなってきて嬉しい限りです。ちゃんと「秋」という季節が来てくれて本当に嬉しいし寂しい。良い寂しさが充満している。ちょうど執筆が進むような。
そして秋は陶酔する季節です。適度な切なさはナルシシズムに浸るにはちょうどいい。自分の汚いところも、この季節なら綺麗な言葉というオブラートに包んで素直に飲み込める。
涼しくなって、大学の夏休みは終わって、久しぶりに色々な人に会った。学部の友達だったり、サークルの先輩だったり、同じ授業を取っているとある先輩だったり。
大学の夏休みは始まりが遅く、尚且つ長い。一ヶ月半の休みのほとんどを誰とも会わずに過ごした訳だが、久しぶりに大学の人間に会ったとき、自分の薄情さに心底呆れた。
とある先輩がいた。その人に狂っていた。盲目とまではいかなかったが、多少のあらは見逃せてしまうくらい、私にしてはありえない惑い方をしていた。
今日久々に会って、話してこそないけれどきちんとその人を近くで見た。声が綺麗な人だった。よく出来た人だった。欠点を探せば探すほど、また別の綺麗なところが見つかるような人だった。
そういう感情にどういう名前が付くのか、はっきりさせないままなんとなく目で追っていたが、改めて今日会って、その人を見て、あまりにも感情が動かなかった。
何度かDMでやり取りすることもあった。タメ口解禁されてたし。下の名前で呼んで欲しいとも言われていたのに、その人の好きなものを好きになろうとしていたのに、その人が見せる男性的側面に失望するほど彼のことをどこか神格化していたのに、なんの感情も動かなかった。自然と目で追えなかった。
90分間の授業が終わって家に帰るときになって、そういえば今日は先輩のことを気に掛けることなく終わったな、と思った。
さらに言うなら、授業の終わりがけにその先輩が発言して初めて、その人がこの授業に行く理由になっていたのを思い出したくらいだった。
飽きていた。
誰とも会わない一ヶ月半、ほとんど何にも追われていない一ヶ月半、創作にのめり込んでいた。忙しさと疲れを理由にできなかったことの全てをやろうと躍起になっていた。その結果がこれだ。馬鹿らしい。ずっと知りたいと思っていた感情を理解するために必要な勇気とエネルギーを、私は創作に空費してしまった。繋がりたいと願い続けなければ人は離れていってしまうのに、私はそれを想い続けることを怠った。
消極的失恋。
その言葉が頭に思い浮かんで初めて、これに恋という名前をつけて良いのだと、自分の中の何かを許せた気がした。
綺麗な言葉を尽くして語ったけれど、つまりは私が先輩に飽きてしまったというだけで、本当に私が悪いだけだし改善しなければいけない立派な短所だ。美談でもなんでもない。けれど書き残しておかなければいけない。
一つの通過点であり汚点として。