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カスの結論

結論から言うと、土井半助に向けている感情は恋慕などではなく、どちらかといえば親に向けられるべきものに近しい。
人として出来過ぎてんだよ。やめてよお(泣)

子供をきちんと子供扱いしてくれる大人って結構貴重だと思ってて、確かに子供扱いしてくれる大人っていうのはいるのだけれど、大半の大人ってそこに過干渉が含まれてることが多いと思うんですよ……多くない?
特に我が子ってなると。なんだろうね、近年のちょっと異常とも言える推し活ブームみたいな感じで、「いくら推し(我が子)にお金や手をかけたか」が一つの愛情の指標になっていません?
いやある意味正しいんだけども。

まあ結局そういう愛情ってのは数値化できないからどうしても結果論になってしまうし、そういう親心もわからなくもない、というか痛いほどわかってしまうのだけれど、それはそれとして、グッと堪える力?みたいなものを土井半助は備えていたんですよ。

信頼っていうのかな、これが多分「推し」と「我が子」の違いだと思うんだけど、好きなだけじゃどうにもならないじゃない、全ての対人関係って。一方的じゃない限り。
信頼っていうのは、ある意味「手放すタイミング」だったりするわけで、ここぞというときに手を離さないと、路頭に迷ったり、一生独り立ちできなくなっちゃったり。そしてそういうタイミングって、案外わかりやすかったり。

でもわかりやすいからといって、みんながみんないいタイミングで手を離せるわけじゃないんだろうな。
心配だったり、そこに至るまでにかけてきたコストだったり、そういうのを考えると、確かに自分が安心できるまで手綱を握り続けていたいと考えるのもわかる。痛いほどわかる。
でも、多分自分が安心するまで紐に繋いでおいてしまうと、いざ安心して手を離そうとした時には、育った翼が腐ってるんだろうな。

それだけじゃなくて、多分子供に愛情を注ぐっていう行為はかなり厳しくて、試し行為だったり無知故の失礼だったり、かなり飼い犬に手を噛まれることがあると思う。それを全部、「子供だねえ」って流してしまうのもあまり良くなくて、だからといって全部見逃してるとどうしようもなく手がつけられなくなる。
躾って難しいね、ってだけの話だけど、それってそんな一言で軽く流していいものじゃないよなあ。

めちゃくちゃ脱線したけれど、土井半助ってそこがかなり絶妙で、「子供だねえ」って流しつつも、自分の言動や行動であるべき姿を体現して、尚且つここぞという時に手を離してくれる。
自転車の練習をする時みたいな。まだ後ろ持ってるから、と声をかけつつ、実はしっかり手を離している、みたいな。
そこが初恋泥棒たる所以なんだけど、多分これって恋じゃねえなと。

恋なんて言葉で終わらせてたまるかよ!!今日から俺が山田利吉だ!!!お兄ちゃんと呼ばせてくれ!!!


って感じの気分です。みんなのお兄ちゃん、理想の年上、恋人に求めてはいけない父性のような、水色の感情。

なんでこんな十二年越しくらいに、改めて土井半助に向ける感情を言語化しなきゃいけないんだよ。成長して賢くなるってこういうことなのかな。
楽しっ。
でも辛っ。


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匿名I
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