遺書、未遂。(下)
これはメンタルが終わっている時、江ノ島に一人で行った時の手記です。
個人名や具体的な駅名が出ている箇所や誤字は改変、変換、削除、黒塗り処理をし、掲載します。
こちらから読んでも大丈夫ですが、一応「遺書、未遂。(上)」の続きです。
よければそちらからどうぞ。
体が休まった。歩こう。まだ行き足りない。
背中に流れていた汗が乾いた。まだベタつく。ノースリーブの上に羽織った半袖の、袖部分が擦れて痒い。
自分でもわかるくらい、私から汗の香りがする。いや、もしかしたら足から立ち上る潮の香りかもしれない。
足の不快感は慣れた。体全体がうっすら湿っているから、あまり気にならない。それよりもほてりやこわばりがアイスティーで少し和らいだ気がする。
眠気はない。死に対しての前向きなモチベーションが、緩やかに生き返っている気がする。
ここで何かお土産を買うつもりはなかった。刹那的な旅にしたかった――のだけれど、欲が湧く。ピアスでも買って帰ろう――帰ろう?私、まだ帰るつもりがあったの?
生に執着している。まだ生きられると、心のどこかでたかを括っている。傲慢。勘違いも甚だしい。私は死ぬべき人間だ。それはそれとして、また海に行かなければならない。行かなければ。あの場所へ。
小一時間ぼーっとしていた。生きて帰ってきてしまう。
生きるしかないところまで帰ってしまった。退路を潰しながら生きている。消極的……いや、積極的消極的選択というのが一番合ってるかも。
あの海はよかった。ピンク色の空も、波打つ音も、肌に吹き付けるベタベタした潮風も。張り付くような不快こそ生きるということで、どうしようもない生の象徴なんだ。
独り言が少なかった。でもあの海を見た時、ここだと思った。笑ってしまった。
あまりにも、居場所、だった。
帰属意識とか、帰るべき場所がなくなった今(実家はまだあるが実家ではない)私の居場所はここだと思った。
帰りたくなかった。
わがままな子供のように、駄々をこねたかった。
思い切り、わがままを言ってみたかった。
わがままを言ってもいい関係だと思いたかった。
幼さを肯定してくれ、どうか。
電車に乗った。身体的疲労はあるが、まだ歩ける。まだ書ける。足の痛みも、まだ愛せる。
息よりも眠気がないのが不思議だ。腹も減った。本能が、生きるためのサインを出している。
理性は未だ、死にたいと言っている。
本能の方がまだ冷静だ。
頭が疲れている、考え事をしすぎた。割れるみたいに痛くて、書きたいと叫んでいるのに暴走した機関車みたいに指が動くから誤字がひどい。間違っているのに、やめられない。
遅れて緩やかに、眠気が襲う。
三十分ほど?寝ていた。電車の揺れに揺られていた。身体的な疲れが、私を元気にさせようと眠気を出して、私を寝かせた。
母みたいだ。概念上の、母みたいだ。
疲れてぐずる私を、心地よく包んで眠らせた。
寝て起きて、を繰り返していたらしい。
音楽が一周していた。「今日も生き延びてしまった」という詞に、絶望した。
静かに沈んでいる。
確かに死んだ。夕陽、あの海に、私は飛び込んだ。
私は飛び込んでいないけれど、イマジナリーの私は、飛んで、沈んで、あの耳が塞がる感じを久しぶりに感じた。
目に焼き付けて、肌で受け取って、音で飲み込んだはずのあの海が、もう自分から離れかけているのが辛い。
ぐしょぐしょになった足だけが、私があそこにいた証になってしまった。
この手記を残そう。
すごく気持ち悪くて、今にでもシャワーを浴びたいと思うのに、この気分を、最悪な気分をまだとっておきたくて、自分の身を清めたくない欲求に囚われている。
これは結果的に死ななかっただけの遺書だ。スマホは正直、あそこで水没しても岩で砕けてもいいと思った。お金だって、誰かにくれてやった。
でもこのノートだけは、████に残しておかなきゃいけないと思った。
今際の際に思うのは、彼女と、Aだった。
悔しいな、時間より、対談より、服を脱がないセックスより、結局気になった人間か、浅ましい。
欲――性欲が疎ましい。
足りなかったものを満たすのは、海と、自分より体の大きい遺伝子がXとYの、人間。吐きそう。吐く、とは女性らしい表現だ。気持ち悪い。自分の中の女が嫌い。
海に許されたかった。
最後、引き留められた。
でも来るな、と岩が拒んだ。と思っていた。
結局、私の勇気が足りないのだ。死を選ぶには未練が多すぎる。
ただ、生きていきたくなかった。
それが死ぬ理由になりえなかった。
弱いな。
私の心はベッドの上で横たわったまま。
身体は海へ。記憶は水へ。心は一人で。
これだけは信じてほしい。
のうのうと帰ってきてしまったが、これだけは、信じてほしい。
私は今日、死ぬつもりだったんだ。
まだ追われている感覚は抜けないし、好きなことだけじゃやっていけない絶望感も、自分が持って生まれた特性がやってみたいことと壊滅的に合っていないことへの悲しさとどうしようもなさがあるけれど、その全てをやっていけた先に何かが、「何か」があるという幻想を見ながら進むしかないんだよ。
私を救った、全ての創作物に報いたい。
それなら私を一番救ったのは音楽だろう。歌は、歌だけが私を夢中にさせて、あの頃の何もかもが禁止されていたあの頃の暇つぶしになった。
それをしながら、書くことに夢中になっていた。
自分を表現するものではないが、誰かの人生をなぞることで幸せになった気でいた。
気を紛らわせ続けている。
この世の全てから目を背けたくて、創ることに没頭している。依存している。
あの海がもう恋しい。
死んどけばよかった。
でも死ねなかった。その選択は間違いだった。
本来の私の命日は今日だった。私は愚かにも、その運命に抗ってしまった。
死んどきゃ良かった。言い訳がましいけれど、何度でも言わせてほしい。
私は死ぬつもりだったんだ。
あの岩から飛び込んで、波に攫われるつもりだったんだ。あの時、波は私を生から死の方へ引き止めようとして……あれに反抗しなきゃ良かった。
反抗すべきじゃなかった。
分かった、逝くよ、って、素直に。
また違う何かが、私を攫ってくれますように。
自殺を受動的に、白馬を待つお姫様みたいに待っているからだめなんだ。
死場所なんでどこでもいい。
水の中で死ねたら、本望だけど。