スケジュール帳に乗らない忙しさ
忙しさを言い訳にして自分から引き受けた仕事をやらないのは怠慢でしかなくないですか?という愚痴。他者から押し付けられた仕事は別よ?それはキャパを考えず、無理に押し付けた相手が悪いので。
いかんせん自分が責任感が強いタイプの怠惰なせいで、役職等に立候補するときはどれだけサボれるかの算段を立てた後、それが実行可能であると確信が持てた時しか「やります」と言えない。
自分のキャパを低く見積もっているからこそ出来る技です。
「限界を超える」あれ実行できる人すごいよ。私は一生プルスウルトラできないままです。
最近本当に自分って優しいなと思った、いや、冗談とかではなく。優しいけど愛想とオブラートに包む力が絶望的に無いから良くないだけで、私は優しい。
どうしようもなく責任感も能力も体力も時間も足りていない人間のことを、どうにも見捨てられない。それは一番悪い方向にある優しさなのだけれど、そういう、手を差し伸べなければどうにも落ちていってしまうし、きっと自分まで下へ引き摺り込まれてしまうであろう状況にある人をどうにも見捨てて一人で先に行けない。
ただ実際手を出すほどの甲斐性はないので、どうにかそこから這い上がる方法を考え、口を出すので、這い上がる気がそもそもない人間に対しては全く効かない。それでも、そんな精神でも這いあがろうと思えるような言葉を探してしまうし、そういう心持ちでも「いつの間にか這い上がっていた」という状況になれるようにどうにか理論をこねる。
それでもそういう人間って、助ける側、「這い上がってきた側」からすると「どうしてそんなこともわからないの」の連続だし、実際それを口にしてしまうけれど、そこに対する申し訳なさは正直ない。
正直、芸術や思想の発露を一切やらない人間は、不幸でいることに甘んじることに何の意味もないというかなり強気な思想を持っている。
不幸である原因や、今どのような不幸であるかを分析したいという欲求がないのなら、ただそこで停滞しているのは全く意味をなさない。別にこれは自己啓発とかではく、自分の能力を過信して必要以上に仕事を背負い、結果的に自分の元々ある仕事も終わらなければ、他者に多大な迷惑をかけている私のマジで嫌いな人に向かって言ってます。このアカウントを見ていないことを祈る。本当に。
こんな悪口を羅列したけれど、こういうのってたぶんみんな思ってて、それは本人に伝えず、その間に自己研鑽をしてそいつを超えていくっていうのが多分多数派なのでしょう。
でも、私は遠回しにそれを伝えてしまうし、そいつを自分が立っている土俵まで引っ張り上げようとしてしまう。ああ優しい。別に難しいこと言ってないよね、だって逆に言えば、その不幸や怠慢を分析して言語化しようとしている態度さえあれば、私はそれを静かに見守るってことだもの。
事実、怠惰の原因に対する分析ほど面白いものはないからね、私がいい例。私もありえないくらい怠惰なので。
そもそも「忙しい=不幸」みたいな考え方するなよって感じではある。手段とゴールが明確にあって、反復練習なんて要らず、ただ目の前のことをこなせばやるべきことが自然に消えていくって状況、幸せすぎるだろ。
これだけ書いたけれど、つまりはやる気のある無能が死ぬほど嫌いです。それでもその人間を引っ張り上げようとしてしまう自分のことは、もっと嫌いです。
弁えろ。自分の実力を過信していいのは、最終的に「自己責任」と「恥」の一言で片付けられる範囲までだ。