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【すべての人は幸福を求めている】

すべての人は幸福を求めて生きています。これに異論を唱える人はいないでしょう。
しかし、すべての人は幸福を求めても少しも幸せになれず、苦しんでいます。

こう言われると、「そんなことない。オレには家族もいるし、仕事もうまくいってるし、何事も順風満帆で幸せだ」
という人もいるかもしれません。たしかにお金や物、地位や名誉、妻や子供をなどを手に入れたとき、私たちは幸せを感じます。
仏教ではこれを「相対の幸福」といいます。
「相対」とは、何かと比べるということですから、周りの人や物と比べて、自分は恵まれているなと感じる幸福です。

ところがこの相対の幸福には悲しい3つの定めがあります。
1つは「続かない」のです。どれだけおいしいものを食べていても毎日食べていれば飽きます。新婚の時は人生で一番幸せと感じても、何年も一緒に暮らしていると、相手の嫌なところも見えてきます。そして、結婚したことが人生最大の失敗だった、と後悔する人もあります。

2つ目に「キリがない」のです。
高級な車や家などを手に入れても、さらにいいものが欲しくなります。
頭がいいとほめられれば、今度は運動もできるとほめられたくなりますし、容姿もいいねと、もっともっとと求めていきます。どこまでいってもキリがないのです。

3つ目に「死の前には総崩れ」です。
どれだけお金や家族、車、家、名誉や地位をかき集めて、幸せな暮らしができたとしても、いよいよ死んでいく時には何一つ持っていけず、丸裸で死後の世界へと旅立って行かねばなりません。

なので「相対の幸福」は本当の幸せではないのです。

仏教では、もう一つ「絶対の幸福」が教えられています。
どんなことがあっても、たとえ死が来ても、絶対に変わらない幸せがあるのです。
すべての人は、究極的に言うと、「相対の幸福」ではなく「絶対の幸福」を求めて生きていると言えましょう。

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