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【私とは何者なのか】

「私とは、一体何者なのか」
こう問われると、意外と答えに窮するのではないでしょうか。

「私は、山田太郎だよ」
と、自分の名前を答える人が多いと思いますが、それは私の名前です。
名前は親がつけたものですし、いくらでも改名することができます。
名前がどれだけ変わっても、私は変わりません。
名前は私ではないのです。

「私は、顔は小さくて、目は垂れてて、細身だよ」
と答える人もいるかもしれませんが、それは私の肉体です。
極端なことを言えば、腕を切断したら私は変化するかのかというと、私は変わりません。
肉体は私ではありません。

「私は、脳だよ」
と、答える人は科学的で理性的な感じがします。
脳が指令を出して体を動かしているからでしょう。
しかし、脳も細胞のかたまりです。
細胞は毎日毎日入れ替わっています。
7年ほどすると人体の全部の細胞が入れ替わるといわれます。
7年前の脳と今の脳は、まったく別の脳ということになります。
なのに、一貫した「私」があるではありませんか。

「私とは、一体、何者なのでしょうか」

仏教のことを「法鏡」ともいいます。
「法」とは、ありのまま、真実。
ありのままの私の姿を映し出す鏡を「法鏡」といいます。

仏教を聞いていきますと、「本当の私」と対面する時があるのです。

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