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【正しい信心を持ちましょう】

「信心」と聞きますと、何か特定の神や仏を信ずることを信心だと思います。
しかし、「信心」という字は、心で信ずると書きますように、自分の心で何かを信じていれば、それはその人の信心です。神や仏に限ったことではありません。

妻は夫を信じています。
夫は妻を信じています。
親は子供を、子供は親を信じています。
お金、地位、名誉、美貌、健康など、私たちはこれらのものをあて力にし、支えにし、頼りにして生きています。

今日も妻は家のことをしてくれると信じている夫は多いでしょうし、夫がしっかり稼いでくれると信じているから、妻は安心しています。
この子が元気でいてくれるから親は頑張れますし、子供は親がいなければ生きてはいけません。
明日の予定を手帳に書くのは、明日も生きておれる、と自分の命を信じているから予定を書くのです。

このように、私たちは何かを信じなければ生きてはいけないのです。
「信じる=生きる」ことなのです。

ところが私たちは、その信じているものから裏切られる時が必ず来るのです。
信じている気持ちが小さければ裏切られても大したことはありませんが、信じる気持ちが大きければ大きいほど、裏切られた時の苦しみも大きくなります。
たとえ、裏切られずに一生過ごせたとしても、いよいよ死んでいくときには、すべてのものから裏切られてさびしくこの世を去っていかねばなりません。

なので仏教では、どんなことがあっても裏切られることのない、たとえ死が来ても変わらない、「正しい信心」を持ちなさいよ、と教えられるのです。

その正しい信心を歌にされたのが、親鸞聖人の書かれた『正信偈』というものです。
この『正信偈』に書かれている、正しい信心を獲れば、どんなことがあっても変わらない幸せ「絶対の幸福」になることができるのです。

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