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短編Ⅶ | with 1/3

※こちらのトップ画像は、nkoh1様のエッセイに刺激されて、みんフォトから頂戴しました。nkoh1様の温かい筆致でつづられる日常に、とっても癒されます😻。猫好きな人って、優しい人が多いのかしら…(私は犬派)。

…では、本編をどうぞ。



仔猫が『一日マスター』を務めてから3日後。俺の熱がようやく下がった。

解熱直後のフワフワとした足取りで、俺は仔猫と一緒に店へと向かった。途中、仔猫が「パルコに寄っていく」と言うので、俺は仔猫を見送ってから、大通りの向かいにある女亭主の店に立ち寄った。

開店準備中のその店は、歩道に面するシャッターが半分ほど上げられていた。下から覗き込むと、ガラス扉の向こうで女亭主がカウンターを拭き清めているのが見えた。俺は身体をかがめてシャッターをくぐり、ガラス扉を押し開けて「おい」と声をかけた。そして、仔猫が世話になった礼を丁重に述べた後、例の懸念事項について、何度も何度もしつこく口止めをした。

「いいか。くれぐれも、あいつに余計なことを話すなよ。俺の過去の悪さを知ったら、あいつはきっと動揺するからな。一切何もしゃべるな。わかったな。頼んだぞ」

かつて美貌で鳴らした女亭主は、今では鬼瓦のようになった顔で二カッと笑い、右手の親指をグッと突き立てて見せた。そして笑顔はそのままに、片手をカウンターに突き、もう片手を腰に当てた姿勢で、俺に言った。

「あんた普段は無口なのに、こういう時だけは昔みたいによくしゃべるんだね」
「そうか?」
「そうだよ。いや、茶化して言ってるんじゃあないよ。……あのさぁ、親心で言っとくけどさ。あんた、自分の気持ちはちゃんと口に出して言うんだよ?一番大事なことは、伝え過ぎるくらいでちょうどいいんだからね」

…なんだ、藪から棒に。

「いい?『ありがとう』と『ごめんなさい』と『大好き』は、思ったときにすぐ言うんだよ?すぐに言うのがポイントだよ?相手が目の前からすぐに消えちゃうかも、って危機感を持って、はっきりと言うんだよ?」
「…はあ」
「はい。あたしに言ってごらん。『大好き』って!」

…は?なんでおまえに言わなきゃならないんだ。

女亭主がガバッと両腕を挙げて、俺を抱きしめるようなポーズを取ったので、俺はあわてて店を出た。

「…あの夜一体、仔猫と何を話したんだ」

俺は独り言ちながら首をひねり、大通りを走る車の間を縫って、自分の店へと向かった。

それから安穏とした日々が続き、無事に年が暮れて、年が明けた。
この年末年始は、”家族”と一緒に過ごす特別なものとなった。

母親が死んでから15年、年越しイベントとは無縁に過ごしてきた。母親が生きているときでさえ、華やいだ祝賀ムードとは無縁だった。せいぜいがところ、正月三日に親父さんが家にやってきて、酒飲み用のオードブルがテーブルに並び、年齢にしては多めのお年玉を貰えた…その程度の記憶しかない。

今回のクリスマスは仔猫の発案で、店内をそれらしくしつらえ、常連客を招待してちょっとしたパーティを開いた。仔猫と俺も、ささやかなプレゼントを交換した。仔猫には小さな石がついたピアスを。俺には新しい手袋を。

大晦日は二人で深大寺まで出向き、年越しそばを食べて、除夜の鐘を聞いた。正月は仕出しのおせち料理を食べて、井の頭弁財天まで初詣に出かけた。商売繁盛の熊手を買った仔猫は、それを軽く振りながら、玉川上水沿いの細い緑道をご機嫌で歩いた。
来年の初詣は大宮八幡宮に行ってみたいな、除夜の鐘は月窓寺がいいな、と仔猫が小さく歌うように言って、もう来年の話か、鬼が笑うぞ、と俺が笑った。そして二人で手をつないで、静寂の中にヒヨドリの声を聴いた。

こんな温かい年末年始を過ごすのは、生まれて初めてのことかもしれなかった。

事件が起きたのは、正月明けに店を開けてから5日後のことだった。

その夜は、新年会から流れてきた客で店内は大いに賑わっていた。店のドアが開いて若い女が一人で入って来た時、俺は「今夜は満席なんで…」と声をかけたが、女はそれを無視して、俺の背後に向かって声を放った。

「お姉ちゃん、こんなところで何してんの」

…お姉ちゃん?
振り返ると、仔猫が硬い表情で立ち尽くしていた。若い女は厳しい口調で言葉を続けた。

「ずっと探してたんだよ。なに、その髪の色。なんで水商売なんかやってんの、恥ずかしい。自分勝手もいい加減にしなよ」

若い女の剣幕に、近くにいた客が驚いて振り返った。俺は女に声をかけた。

「何のつもりか知らないが、他のお客の迷惑だ。出直してくれないか」
「おっさん、あんた何なの。あんたがお姉ちゃんをたぶらかしたの。…お姉ちゃん、今すぐ家に帰るんだよ。そうじゃないと、お父さんを連れてくるよ」
「やめて」

これまで聞いたことがないような低い声で、仔猫がピシリと言った。「お店に迷惑をかけるんなら、警察を呼ぶよ」

二人はしばらく睨み合っていたが、周囲の客が注目し始めたことに気が引けたのか、若い女は小さく舌打ちをすると、「明日、また来るからね」と言って店を出て行った。

それから仔猫は、近くにいた客に対して小声で謝り、何もなかったように愛想よく振舞った。そして最後の客が退けたところで、うなだれながら俺に言った。

「…迷惑をかけて、ごめんなさい」
「別に、迷惑になってないから気にするな。それより、おまえは大丈夫か。あれはおまえの妹なんだろ」

仔猫は無言でこくりとうなずいた。

「連れて帰るとか、明日来るとか言っていたが」
「…ごめんなさい。私も頭が混乱してて、今は、うまく話せないの。ちょっと時間ちょうだい。近いうちにちゃんと、マスターにお話しするから」

仔猫はうなだれたまま、手に握ったリネンを見つめていた。
俺は、先日女亭主から言われた『大事なことは言い過ぎるくらいに言え』という言葉を思い出し、仔猫の頭をポンポンと軽く撫でて言った。

「ま、事情はよくわからないが、おまえには俺がついてるから大丈夫だ。俺が駄目なら親父さんがいる。女亭主もいる。一人でなんとかしようと無理せずに、ちゃんと甘えろよ。甘えられた方が喜ぶ人種も、世の中には居るんだからな」

仔猫が初めて顔を上げて、俺を見た。大きな目にはジワジワと涙が滲んでいた。仔猫は涙ぐんだまま、少し笑ってうなずいた。

「…ありがとう、マスター」
「くれぐれも、家出だけはするなよ。あれはマジでこたえるからな」
「…うん。わかってる」



翌日。開店準備中に電話が鳴った。
予想したとおり、電話の主は仔猫の妹だった。

『お姉ちゃんはいますか』
「いや、今日はいない」
『じゃあ、あなたが私と話をしてくれますか』
「わかった」

俺は店のドアに『CLOSE』をかけて、駅前のコメダ珈琲店へと向かった。



(つづく)








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