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【創作大賞2024オールカテゴリ部門】たそがれ #08

前回のお話はこちら》


「…私が覚えていたのは、この桜だったのかな。」

桜の大木を見上げ、瑠奈はつぶやいた。そして墓石に目を落とすと、ゆっくりとしゃがんで手を合わせた。

「ママ…ごめんね、ずっと来なくて。」

しばらく黙祷したのち、瑠奈は目を開いて、墓石をしげしげと眺める。墓石も基壇も苔むすことなく、玉砂利と共にきれいに清められている。荒れ果てた状態になっていることを想像していた瑠奈は、ホッとして立ち上がると、墓石の裏に回って墓碑を見つめた。

  佐伯 洋子 平成●●年三月●日 二十五才

「ママ、私よりも若かったんだね。…私を産んだせいで、こんなに若くで死んじゃったのかな。」

瑠奈は一つ一つの文字を指でなぞりながら呟くと、隣にならぶ文字列に視線を移した。夕闇が迫っているからか、文字がはっきりと見えない。瑠奈は目を凝らした。

  佐伯 璃央 平成●●年三月●日 零才

「…誰?没年月日がママと一緒…」

瑠奈が先ほど確認した戸籍証明書には、この名前はなかったはずだ。

その時、遠くの角から人影が現れた。線の細い男がうつむき加減でこちらに向かって歩いてくる。瑠奈はとっさに桜の大木の影に身を潜めた。

あの特徴的な歩き方をよく知っている。パパだ。

パパは墓のまわりを清め、墓花を供えると、ゆっくりと手を合わせ、念仏を唱えた。そして、ひざまずいたまま、墓石に話しかけた。

「ヨウコ、リオ、三十三回忌だな。」

瑠奈はとっさに口元を手で押さえた。パパは言葉を続ける。

「俺はこれまで、瑠奈を墓参りに連れてこなかった。母親と兄弟を犠牲にして生まれてきたなんて、そんな重荷を背負わせたくなかったんだ。小さいうちに新しい母親と兄弟ができて、産みの母親が別にいること自体を忘れてしまえば、幸せになれると思った。
ナオコも同じように考えて、瑠奈の本物の母親になると決心してくれた。瑠奈の人生に一点のくもりもないように、ひたすら幸せであるように、二人で努力してきたつもりだ。
…でも、結局のところ、それが瑠奈を苦しめてしまったのかもしれない。お前たちにも、瑠奈の成長する姿を見せてやらなかった。今更だが、そのことを、心から悔やんでいる。
…でもな、瑠奈は本当に立派に成長したよ。相変わらず、家にはほとんど帰ってこないけれど、仕事をよく頑張っているみたいだ。あの子はヨウコに似て、聡明で努力家だから。…だから、どうか、安心してくれ。」

それからしばらく、パパは一人語りを続けた。

二人の出会い、恋、結婚。
お腹に赤ちゃんができて二人で大喜びしたこと。
双子の名前を二人で考えたこと。
リオが無事に生まれていたら一緒に釣りに行きたかったこと。

母がどんなに素敵な女性だったか。
母のことをどんなに大切にしていたか。
母と結婚して、どんなに幸せだったか…。

最後に、次はお盆に来ることを約束して、パパは立ち上がった。


瑠奈は桜の木陰から現れると、去っていく父親の背中を見つめた。

「パパ…ごめんなさい、パパ。私、全然わかってなかった。」

瑠奈は暮石に向き合う。

「私を産んでくれたママ。…大丈夫だよ、私、幸せな子に育ってるよ。ママ、私を産んでくれて、本当にありがとう。最後に会えて良かった。」

そのとき、優しい風が吹いて、桜ふぶきが瑠奈を包み込んだ。それらは瑠奈のまわりをゆったりと漂うと、空に吸い込まれていった。



管理事務所の近くまで戻ると、桜の木の下でリオが待っていた。
時刻は六時を過ぎ、あたりを夕闇が押し包んでいる。

「お母様に会えましたか。」
リオが優しく微笑んで瑠奈に問いかける。「…お父様にも。」

「リオくん…」

瑠奈は、璃央から二メートルほど離れたところで立ち止まった。

「リオくんは、私の死んだ兄弟だったんだね。」

「…僕は母とずっと一緒にいて、母の気持ちを十分すぎるくらいわかっていました。
娘のことを心から愛していること。父のことも心から愛していること。父の意向に寄り沿い、娘の幸せを願って、娘に会おうとしなかったこと。いつも娘の身を案じ、成長に思いをはせてきたこと。
この三十二年間、母はあそこから一歩も動こうとしなかったし、僕も母の気持ちを尊重して、妹に会いに行こうとしなかった。
でも、いよいよ現世とお別れというときに、思ったんです。僕は年に数回、父に会えている。なのに、妹は母に全く会えてない。このままで本当にいいんだろうか、と。
だから、迎えに行ったんです…あなたを母に会わせるために。」

リオは黄昏の薄闇に溶け、表情がよく見えない。

「リオくん…それじゃあ、リオくんも…もう…?」

リオがゆっくりうなずいた。

「瑠奈さん、僕も間もなく消えてしまいます。だから最後に、どうか聞いてほしい。
どうか、彼氏さんを…圭太さんを大切にしてあげて。圭太さんが瑠奈さんを裏切るような人間ではないこと、あなたが一番よく知っているでしょう?きっと、今頃、あなたのことを思って泣いている。」

リオはふわりと瑠奈に近づいた。

「リオくん…やだ、消えないで。もっと話がしたい。」

「僕はこれから仏さまのお弟子になるけれど、いつかきっと、またあなたに会いに来ます。そのときまで、瑠奈さんがこれを持っていて。」

瑠奈の手にクマのぬいぐるみを握らせると、リオは優しく瑠奈を抱きしめた。瑠奈もリオを優しく抱きしめる。

「璃央くん、ありがとう。…ありがとう。」

瑠奈の腕の中で、リオは花びらになって消えた。

続く

前回のお話はこちら》


【第1話はこちら】


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よろしければ、『早春賦』も是非ご高覧下さい。



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