【創作大賞2024恋愛小説部門】早春賦 #02「父親代わり」
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若葉は床に正座したまま、ベンチコートを脱ぎ、おしぼりで一所懸命に汚れを拭っている。まだ酔っ払っているのだろう、手元が覚束ない。
厚化粧をすっかり落とした若葉の顔は、随分と幼い。確か二十五歳のはずだが、中学生だと嘘をついてもすぐにはバレないだろう。
少しぽっちゃりとした小さな顔に、カラコンを入れた大きな目、小さな鼻、ぽってりとした唇。化粧を落とすと、エクステしたまつ毛が異様に目立つ。随分と目を泣き腫らしているが、明日の開店までには回復するだろう。背中まである長い髪は、ミルクティー色に染めて緩く巻いている。
深く開いたVネックから、豊かな胸の谷間をくっきりと見せつけている。身長は百五十センチと小柄だが、とてもグラマラスな体型をしている。
体型は大人だが、中身は随分と幼い。中身の未熟さゆえに、童顔に見えるのかもしれない。普通の二十五歳はもう少し精神的に自立しているだろう。若葉はいつも頼りなく、周囲にしなだれかかりながら、場当たり的にフラフラと生きているように見える。
いつも露出度が高い服装をしているのも、若葉自身の趣味嗜好でそうしているのであれば問題ないが、恐らくそうではなく、男たちの興味関心を引くことで、内面の自信なさを誤魔化しているだけなのではないだろうか。
モクさんは、新書に視線を戻して考える。
…今朝だって、どうせまた男にフラれて、やけ酒を煽っていたのだろう。
若葉が付き合う相手は、うちの店の客ばかりなので、どういう男かは俺もよく知っているが、こんなわかりやすい色仕掛けで落とせる男の程度など、高が知れている。そろそろ若葉も、そのことに自分で気がつけば良いのだが。
俺が泥酔した若葉の面倒を見るのは、初めてのことではない。閉店後、所用のために一人で残っていると、若葉が店に戻ってくることがある。大抵、男にフラれた直後だ。
若葉はひどく荒んだ眼をしてカウンターの隅に座り、黙ったまま、店の酒を勝手に飲み始める。そして泥酔して、俺に絡んでくる。
正直なところ、売り物に手を出されたくないし、絡まれたくもない。だが、他の場所で独りぼっちで泥酔されるよりはマシだと思い、若葉の隣に座って、黙って話を聞いてやる。
若葉が抱える絶望的な寂しさがわかるから、頼まれれば抱きしめてやる。
うたた寝を始めればソファまで引っ張って行って、毛布をかけてやる。
そして翌朝、若葉が目覚める頃合いを見計らって、そっと店を出る。
俺にできるのは、そうやって若葉の父親代わりになることくらいだ。
もっとも、泥酔した若葉は何も覚えていない。何も覚えていないとわかっているからこそ、俺も身構えずに、父親代わりを張れている。
最近では、若葉がフラれるタイミングを推し測れるようになり、泥酔に備えて店で待機している。さすがに今回のように、定休日の朝に泥酔されるのは想定外だったが。
それにしても今回は、いつもの数倍も手間がかかった。おかげで、俺の定休日のルーティンが大幅に狂ってしまった。
モクさんは小さくため息をつくと、ハンガーラックにかかった白いフェイクファーのコートを取り上げ、「もう帰れ」と、若葉のほうに投げて寄越した。
(続く)
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