短編Ⅷ | 真夏の果実 1/2
そう。それは運命の出会い。
僕は出会ってしまったんだ。
理想どおりの女の子に。
◆
僕は東京郊外の高級老人ホームで、コンシェルジュとして働いている。いずれはパパが経営する人材派遣会社を継ぐことになっているけど、当面はいろいろと社会勉強をする予定。
彼女は、いたり、いなかったり。まだ26歳だからそこまで焦ってないけど、そろそろ素敵な女の子と出会えないかなあ、って思ってるところ。
昨年の十月の、ある日の午後。
あくびを噛み殺しながら受付カウンターに立っていると、自動ドアが開いて、一人の女の子が入って来た。
その女の子を見て、僕の眠気は吹っ飛んだ。だって、彼女はまさに、僕の理想そのままだったから。
まるで仔猫みたいな、かわいい女の子。歳は僕と同じか、ちょっと下くらい。
小さくて、スレンダーで、顔が小さくて、目が大きくて。ちょっと顎が尖ってて、首が長くて、鎖骨が細くて。
髪は長くて、ゆったりとウェーブしてて。色がちょっと明るすぎるかな。僕と付き合うなら落ち着いた色にしてほしいけど、現時点では許容範囲内。
服装は、淡いピンクのふわふわしたセーターと、細かいプリーツが入ったグレーのロングスカートと、黒いアンクルブーツ。シックで洗練されてて、センス良さげ。
彼女はカウンターの前に立つと、少し首を傾げて僕を見上げ、小さな声で用件を言った。それがまるで仔猫みたいにかわいくて、僕は内心、悶絶した。
好みだ。すごく好み。
この、仔猫みたいな女の子と付き合いたい。
◆
彼女は、月二回のペースで老人ホームにやって来た。『小百合さん』って呼ばれてる美魔女の入居者に会いに来ているんだ。
訪問は予約制なので、彼女がいつ来るかは事前にわかる。僕は予約一覧をチェックし、彼女がやって来る日にシフトを入れた。
何度も顔を合わせるうちに、僕たちは言葉を交わすようになった。彼女はいつもにこにこして、僕の話を楽しそうに聞いてくれる。それに時々、「いつもお世話になっているので」と美味しいお菓子を差し入れてくれる。
もしかして、彼女も僕に気があるのかな。僕は見た目もそんなに悪くないし、大学時代はそこそこモテた。彼女が僕のことを好きでも、何も不思議じゃないと思うんだ。
◆
ある日の夕刻。
僕が定時退社しようと裏口から出ると、ちょうど彼女がエントランスから出てきた。
チャンス…!
僕は彼女の自宅を突き止めようと、そっと後ろからついて行った。彼女は僕に気が付かないまま大通りに出て、吉祥寺駅行きのバスに乗った。僕もマフラーで顔を隠しながら、一緒のバスに乗った。
吉祥寺駅の近くで、彼女はバスを降りた。そして、しばらく歩くと、とある雑居ビルの前で立ち止まり、外階段を上って行った。
すぐに後を追いかけたら怪しまれると思ったので、僕はキョロキョロと辺りを見回し、彼女が入った雑居ビルとは大通りを挟んで反対側の、歩道に面しているカフェバーに入った。カウンターの中には、やたらと派手で迫力のあるおばさんマスターがいた。
僕は窓に近い席につくと、カルーアミルクを頼んだ。そして、それをチビチビ飲みながら、向かいのビルを眺めた。
そんな僕の様子を見ていたおばさんマスターが言った。
「もしかしてお客さん、さっき階段を上って行った、仔猫みたいなカワイコちゃんが気になるの?」
僕が素直にうなずくと、おばさんマスターは赤鬼みたいな顔でニターッと笑い、意味深にウインクした。
「あの子なら、あのビルの三階のショットバーで働いているよ。思い切って行ってみなよ。恋は自分から動かないと、始まら・な・い・ん・だ・よ・♡」
二十時を過ぎたところで、僕は思い切って、そのビルの三階のショットバーに入ってみた。
カウンターの中には、仔猫みたいな彼女と、やたらと身体が大きくて怖い顔をしたおじさんマスターがいた。
彼女は僕を見て、とても驚いた顔をした。驚いた顔もとってもかわいいんだ。
「…あ、おばさまの老人ホームのコンシェルジュさん」
「あれ、君、このバーで働いてるの?すごい偶然だなあ」
彼女は僕をおじさんマスターに紹介してくれたけど、おじさんマスターは僕の顔をちらりと見て、黙って頷いただけだった。さっきのおばさんマスターが赤鬼なら、このおじさんマスターは青鬼だな、と思った。
◆
その夜以降、僕は、おばさんマスターの店で時間を潰しては、他の客が退けた頃合いを見計らって、彼女のバーを訪れた。訪れるたびに、彼女はとびきりの笑顔で迎えてくれた。
僕たちはいろんなことを話した。子どもの頃に流行ったアニメ、漫画、ゲーム。今、夢中になっている動画、音楽、他にもいろいろ。僕たちは趣味がぴったりと合って、とても盛り上がった。
彼女は声が小さいし、よくしゃべる方じゃないけど、僕の話にたくさん相槌を打って、よく笑ってくれた。
彼女は「海に行ったことがない」と言ってたから、少し暖かくなったら、一緒に遊びに行こうって誘っちゃおうかな。
パパの車を借りて、ドライブするのがいいな。二人で海沿いを走ってさ。かける曲はやっぱ、サザンかな。ママの影響で、僕はサザンが大好きなんだ。特に『真夏の果実』が好きだ。彼女も大好きだって言ってた。やっぱり、僕たちは気が合うんだな。
『真夏の果実』を聴きながらドライブして、それから、江ノ島水族館に行って、近所の砂浜を歩いて、夕陽が沈むのを眺めるんだ。そして言うんだ。「君が好きだ」って。彼女はどんな顔をするだろう。仔猫のような目を大きく見開いて、頬を赤らめるかな。そして、「私も、まえから好きでした」なあんて言ったりして…。それで、キス、しちゃったりして…。
◆
三月。
その夜も僕は、頃合いを見計らってバーを訪れた。目論見どおり、すでに客は退けていて、僕と彼女は、ゆっくりとおしゃべりを楽しむことができた。そろそろ閉店という時間になったところで、僕は勇気を振り絞って、彼女を誘った。
「今度僕と二人で、ドライブに行かない?」
彼女の仔猫みたいな目が、大きく見開かれた。僕は自分を励ましながら言葉を続けた。
「こないだ、海に行ったことがないって、言ってたでしょ。江ノ島水族館とか、どう?大きな水槽があって、いろんな魚がいっぱい泳いでいるんだ。それから、近くの海岸で遊んで、湘南の海沿いを車で走って……」
「…ちょっと待て」
突然、それまで一切しゃべったことがなかったおじさんマスターが、ドスの効いた低い声で言った。
僕はビックリして、おじさんマスターを見た。ほぼ同時に、彼女も驚いた顔で、おじさんマスターを見た。
おじさんマスターは大きな身体の前で腕を組み、威圧的に僕を見下ろした。
「それは、うちの娘をデートに誘ってるってことか」
「え、ええ…ええっ?娘って、えっとあの、もしかして、お父さん?」
「おまえ、バーテンの娘をデートに誘うとどうなるか、覚悟はできているんだろうな」
おじさんマスターは、赤っぽいラベルがついた瓶を二本、ドンッ、ドンッと勢いよくカウンターの上に置いた。そして、小さなグラスを二つ、カンッ、カンッと打ち付けるように目の前に並べた。そして、目を爛々とさせながら僕に言った。
「俺と勝負しろ。ウォッカを同時に飲んで、先に潰れた方が負けだ。俺が負けたら、娘とのデートを許す。おまえが負けたら、金輪際、娘には近寄るな。わかったな」
おじさんマスターが、ものすごい顔をして僕を睨みつけている。前から人相の悪い人だと思っていたけれど、今夜は殺意すら感じる。
これはアレだ。古くさいドラマでよく見る、「大事な娘をおまえみたいな若造には絶対にやらん!」って怒り狂ってる、例のアレだ。
僕は彼女を見た。彼女は困った仔猫のような表情で、オロオロと僕たち二人の顔を見比べていた。僕はそんな彼女を見て、心の中で悶絶した。
…かわいい。困った顔もかわいい。もう、かわいくてかわいくて、仕方ない。早く独り占めしたい。
僕はグッとお腹に力を込めた。
…負ける訳にはいかないよ、君との将来のためにも。ウォッカなんて飲んだことないけど、僕は頑張る!
「わかりました、お父さん。僕はお嬢さんに本気です。絶対に負けませんよ!」
「いい度胸だ」
お父さんは二本の瓶を両手に持つと、それぞれの瓶からそれぞれのグラスへと、同時にウォッカを注いだ。そして一つを僕の前にスライドして寄越し、もう一つを自分の額の前に高く掲げた。
「一杯目だ」
僕もグラスを手に取って、うなずいた。
そして二人同時に、ぐいっと杯を空けた。
(つづく)