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【創作大賞2024恋愛小説部門】早春賦 #36 エピローグ「小さな芽吹き」

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四月上旬。
俺と若葉は東京に遊びに行き、築地本願寺の花まつりを見に行った。

インドの宮殿のような本堂もさながら、多彩なイベントや観光客の多さに若葉は目を見張り、「すごいもんやな」と何度も感嘆した。

特に若葉が喜んだのは稚児行列だ。可愛らしい衣装に身を包み、天冠を被った子どもたちが、巨大な白象を引きながら街を練り歩く。若葉は写真を撮りながら、眼を輝かせた。

本堂に備えられた花御堂の中では、生まれたばかりの小さなお釈迦様が天上天下を指さして佇んでいる。俺たちはその尊い御頭にゆっくりと甘茶をかけ、お釈迦様の誕生を祝った。
そして、本尊である阿弥陀如来にもお参りし、丁寧に手を合わせた。

本堂を出て大階段を下りるとき、俺は若葉の手を取りながらハラハラした。

「ちゃんと手摺を持っとけよ。足を滑らすなよ」

そう俺が何度も言うので、「もう、心配し過ぎ」と若葉は大笑いした。「そりゃあ、心配もするやろ」と俺も笑った。

若葉は俺の春告草だ。いつもこぼれんばかりの笑顔を見せながら、光が差す方向へと俺の手を引いてくれる。


今、若葉の胎内では、俺の子どもが、小さく小さく芽吹きつつある。
そのことを若葉から告げられた時、俺は若葉を抱え上げて喜んだ。自分のあまりの喜びように、俺自身が驚いた。

俺たち以上に喜んだのは、ママだ。

俺が親父さんに会いに東京まで行き、帰阪したその夜。俺は、ママと若葉が住むマンションを訪れ、二人で一緒に生きていく決意をママに報告した。
ママは目を大きく見開いて一瞬震え、「これでいつでも死ねる。こずえさんに笑って会える。」と言って泣き出した。

俺たちに子どもが授かったことを報告したときも、ママはやっぱり同じことを言って泣いた。
ママもまた、親父さんと同じように、俺の知らないところで苦しい想いを抱えてきたのだろう。

ママの喜ぶ顔を見ながら、俺はふと疑念を抱いた。

あの雨の夜のタロット占いは、本当にママが話した通りの結果を示していたのだろうか。実はあれは、ママの作り話だったのではないだろうか。
あの直後にママは倒れてしまったが、もしも倒れていなければ、ママは何らかの方法で、俺たちが一緒になるよう誘導するつもりでいたのではないだろうか。

定休日の店で、ママが俺を罵倒した時もそうだ。
 
あの前夜、若葉は本当に、店に忘れ物をしていたのだろうか。あの時のママは、俺に知恵を授けて扇動するために、俺が逆上することを覚悟の上で、わざわざ店にやって来たのではないだろうか。
きっとママはママなりの考えと覚悟を持って、俺の前に救いの糸を垂らしてくれていたのだ。


東京では、かつて修行していた料理屋にも顔を出した。十四年ぶりに会う女将と板長は、俺の顔を見るなり「惣さんが笑っている」と驚きながら、再会を喜んでくれた。

別日には都心のマンションの一室に招かれ、親父さんと次男一家に夕食を提供した。親父さんは以前から、次男と俺を引き合わせたかったらしい。
次男は親父さんと同様に実業家だが、物静かで探求心が強く、俺と話が合った。次男のパートナーはフランス出身だ。若葉の中に「いつか南フランスに遊びに行く」という目標ができた。

そんな俺たちを、親父さんは相変わらずの細い眼で、嬉しそうに眺めていた。次回は御影にある親父さんの別邸で会う約束をして、俺たちは別れた。


ほんの数年前までは想像もしていなかった明るい景色が、今、目の前に広がっている。まるで雪国に春がやってきて、雪の下から緑の大地が現れたようだ。

きっと、俺の春は、若葉と出会った時にやってきたのだろう。ずぶ濡れの捨て猫みたいだった若葉を抱きしめた時から、俺の雪解けは始まっていたのだろう。
辛くて厳しい冬が長すぎたために、そうと気づくまで随分と時間がかかったが。

産まれてくる子どもは、若葉と目元がそっくりな、ぽっちゃり顔だろうか。それとも、七五三の俺にそっくりな、まん丸のニコニコ顔だろうか。もしかしたら、俺と若葉の不思議な化学反応の結果、誰にも似ていない子どもが産まれてくるかもしれない。

いずれにしても、産まれてくる子どもは、俺たちの大切な宝物だ。

若葉はきっと、いい母親になる。
俺もきっと、いい父親になれる。

何も不安がないと言えば、嘘になる。この先、思いがけない不幸に見舞われることもあるだろう。でも、俺たちなら大丈夫だ。不幸の中には必ず幸せのタネが眠っていると知っている。
そのタネが芽吹くことを信じて、厳しい冬を乗り越えていくだけだ。


(早春賦 完)

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