ある種の母親は娘を呪い続ける
こんばんは。鳴海 碧(なるうみ・あお)です。
本日は、かなり重め、でも短文をお届けします。
最近、小説やらイラストを書いてみたくて、ウズウズしている私。
出来上がったものを眺めて、ニンマリとご満悦な私。
もっとたくさんのことが出来そうな気がして、ワクワクしている私。
そんな私の耳元で、小さく囁く声が聞こえてきます。
「あんたに出来るわけがない」
「また夢みたいなことばっかり言って」
「あんたみたいな甘い考えが社会に通用するはずがない」
「見てなさい。そのうち思い知るから」
…母の声です。
私の母は、私の翼を根元からへし折りたがる人でした。
先日、大学時代の親友と12年ぶりに再会しました。大学時代には聞いたことのなかった彼女の本音を聞きました。
「うちの母親は、娘である私が自分よりも幸せになることを絶対に許そうとしない」
彼女も私と同じように苦しんでいたのだと知りました。
全ての母親がそうだとは思いませんが、そういう母親がいるのです。
若い頃、私も親友も、アクセルを踏みながら、同時にブレーキを踏んでいました。
はたから見れば、何にも挑戦していないように見えていたでしょう。でも、私も彼女も、前に踏み出したいと一生懸命アクセルを踏んで、なのにもう片方の足が勝手にブレーキも踏んで、ブレーキから足を離そうとするのにどうしても離せなくて、そうしてひたすらエネルギーを消耗し続けていたのです。それでも泣きながらアクセルを踏み込み続けて、少しずつ、少しずつ、前に進んできたのです。
そのブレーキの正体は、母からかけられた呪い。母から植え付けられた罪悪感。
そのことに気づいたのは、随分と成長してから。ドン底を味わって、このままだと不幸な人生から抜けられないと、思い知った時でした。
「私達はさ、もう自由だよ。幸せになるために母親を捨てて良いんだよ」
「そうだよね。あの人は『苦労して育ててやった』って言うけどさ、うちら、何もしてもらってないよね」
「そうだよ。慰謝料もらったっていいくらいだわ」
世間はきっと、私達のことを恩知らずの親不孝者と呼ぶでしょう。
母達は「こんな娘を持った私はなんて可哀想」と、周囲に対して相変わらずの不幸自慢をするでしょう。
それでも、私達は自分の人生を歩いていくと決めました。
もう、無意識のうちにブレーキを踏むような生き方はしないと決めたのです。