彼らはずっと海を見つめていた
.こんにちは。鳴海 碧(なるうみ・あお)です。
本日は、軽めのお話、私が子どもの頃のささやかな思い出を書きたいと思います。
よろしければどうぞお付き合いください。
子供の頃、よく裏山に登っていた。
私が生まれ育った漁村は、海岸に沿って東西に細長く延びており、その東端に小さな漁港と裏山を持っていた。
山といっても標高100m程度の小さな山だ。中世以前のこの一帯は海で、裏山は一つの独立した島だったらしい。確かに瀬戸内海の他の島々と同じく、お椀を伏せたようにこんもりと盛り上がった形状をしている。
私が子供の頃とは、なにしろ四十年も前のこと。
半漁半農の村の子ども達は親から放ったらかしにされ、何人かで連れ立っては、砂浜でカニを探したり、用水路でメダカやドジョウを捕まえたり、裏山に登ったりして遊んでいた。
私の自宅前から東へ延びる細い一本道。
途中から民家が途絶え、だだっ広い耕作放棄地を抜けたところに、裏山への登山口がある。登山口といっても、よく見ればわかる程度の細い細い獣道だ。いや、藪道といった方が良い。藪道は鬱蒼とした木々に覆われ、螺旋を描きながら山頂へとなだらかに続いている。
私たちはその藪道を、下草を掻き分けながら登った。
しばらく登ると小さな小さな平地が切り拓かれており、小さな小さな観音堂がある。幼い私たちは、そこまで登ったところで満足し、藪道を引き返して下山した。
ある休日の昼下がり。
私は小学校の高学年か、中学生だったと思う。一人で裏山に登った。大した理由はなく、「天気がいいから、ちょっくら登って来るか」といった程度の気持ちだった。
いつものように、だだっ広い耕作放棄地を抜け、登山口に到着した。登山口には野生のみかんの木があり、小さな青い実をつけていた。
下草を掻き分けながら、なだらかな藪道を登る。
右からも左からも、鬱蒼とした木々が覆いかぶさって来る。藪道を少し登ったところに、いつもの小さな小さな観音堂がある。軽く拝んで、先へと進む。
今日は、いつもよりずっと先まで行ってみよう。まだ見たことのない山頂まで行ってみたい。
藪道を登りながら、山肌を少し旋回すると、いきなり、パッと視界が開けた。鬱蒼とした木々が切り取られたように途絶え、目の前に瀬戸内海が広がった。
「うわー、すご!」
当時の私にとって、瀬戸内海は砂浜から水平に眺めるものだった。それが今、標高20m程度…建物で言えば、5階建てのビルの屋上と同じ高さに立ち、広い広い瀬戸内海を見渡しているのだ。
母なる瀬戸内海。
その湖のように静かな海面は、午後の日差しを受けてほの白く光っている。
遠い水平線には、大小の島々が重なり合いながら並んでいる。
その手前には、父たちが働く石油コンビナートが煙を吐き、さらに手前には、ゆったりと弧を描く砂浜に波がひたひたと打ち寄せている。
足元を覗き込むと、親戚たちの船を抱える漁港があり、その全てを視界に納めることができる。
右手には、漁港を守るように裏山が伸び、その突端に灯台がある。
私は初めて見る雄大な景色に息を呑み、しばらくの間、呆然と立ち尽くしていた。胸の中に、郷土愛というものが、初めて芽生えた。
どれくらい時間が経っただろうか。
ふと、何かの気配を感じて、私は振り返った。
振り返って、ギョッとした。
私の背後のすぐそこに、たくさんのお地蔵さまがびっしりと並んでいた。
古いものも、新しいものもあった。
お地蔵さま達は隙間なく肩を並べ、瀬戸内海をじっと見つめていた。
彼らは一様に、悲しい目をしているように見えた。
私はずっと海に気を取られっぱなしで、お地蔵さま達の存在に全く気付いていなかった。気付いた途端、背筋がゾッとして、来てはいけないところに来てしまったように思い、慌てて藪道を引き返した。
それ以来、その藪道には入っていない。
恐らく……
あの裏山の観音堂とお地蔵さまは、海で命を落とした漁師たちを供養するためのものだったのだろう。
中世以降、あのあたりの砂浜が隆起して人々が住むようになった頃から、誰かが漁で命を落とすたびに、海を見渡せるあの場所にお地蔵さまを祀ってきたのだろう。
確かに、法事などで親戚が集まるたびに、「今年は○○が海で死んだ」という話題になった。そして、「お盆には絶対に海に入るな。引きずり込まれるから」と固く戒められた。
穏やかな瀬戸内海。赤ん坊の時分から海に浸かって育った漁師たち。それでも、漁に出て命を落とす。それほどに、海というものは恐ろしい。
あれから四十年近くになる。
私の故郷は、もう漁村ではない。
様々な要因により、瀬戸内海の漁獲量は激減した。
私の親戚たちは漁師を廃業し、従兄弟たちは普通のサラリーマンになった。地元で獲れた魚が店頭に並ぶこともなくなった。
故郷のホームページを見ると、裏山の遊歩道の案内マップがあった。
しかしそこに、観音堂とお地蔵さま達を訪れるルートは示されていなかった。
あのお地蔵さま達は、どうしているだろうか。
今も海を見つめているだろうか。