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短編Ⅴ | お使い猫 1/3

約束の時間ちょうどにスタバに行くと、テラス席には既におじさまの姿があった。「おじさま、お久しぶりです」と挨拶しながら近づくと、おじさまは懐からポチ袋を取り出し、サッと私に握らせた。

「さ、これは今日のお駄賃だよ。これで好きなものを注文しておいで」

数分後、私は季節のフラペチーノを手に持って、おじさまの隣にちょこんと座った。おじさまは私の手を取り、細い目を一層細めながら言った。

「嬉しいねえ、お嬢ちゃんみたいな可愛い仔猫とデートができるなんて。どうだい?元気にしていたかい?こないだは家出をしたそうじゃないか。あいつがオロオロしながら電話をかけてきたぜ」
「ええ。そのおかげで、私はマスターの『飼い猫』から『女』に昇格できました」
「え!そうなのかい?」
「このことをおじさまにハッキリお伝えしろって、マスターが」
「あいつめ、オレがお嬢ちゃんに手を出さないよう牽制かけてきやがったな。で、どうなんだい。あいつは優しくしてくれてるかい?」
「その点については、おじさまに一切喋るなって、マスターが」
「なんだよぉ、他人行儀に。あいつもケチケチしてやがるなあ」

おじさまが大袈裟にのけぞって口を尖らせて見せるので、私は思わず笑ってしまった。
おじさまは私が勤めるバーのオーナーで、マスターの父親代わりだ。もう80歳近いけれど、あちこちに若い恋人がいるらしい。とてもおしゃれで気さくで面白くて、私はおじさまが大好きだ。

「あんな愛想のない中年男よりも、オレの方がよっぽどお嬢ちゃんにお似合いだと思うけどねえ。まあいいや、お嬢ちゃんが幸せならそれが一番だ。ところで、LINEでお願いしていた件なんだが…」
「はい。今日はそのつもりで来ました」
「そいつはありがたい。じゃあ、これを頼むよ」

おじさまは脇にあった紙袋を取り上げ、テーブルの上に置いた。中を見ると、淡いピンク色のバラを基調としたフラワーアレンジメントが入っていた。私はその紙袋を両手で丁寧に受け取り、膝の上に置いた。

「これをお届けすれば良いのね?でも、どうしておじさまが直接持っていらっしゃらないの?」
「ああ、オレはお嬢ちゃんに、オレとあの女性の関係を説明していなかったね。あの女性はね、オレの死んだ双子の兄貴の、婚約者だったのさ」

おじさまはドリップコーヒーを一口すすって言葉を続けた。

「兄貴とあの女性は、親同士が決めた婚約者だったんだ。だが兄貴は結婚前に事故で死んじまってな。あの女性はしばらくして別の男と大恋愛の末に結婚したんだが、子宝に恵まれなくてなあ。5年前に旦那も死んじまって、頼れる身内が誰もいないんだ」
「それでおじさまがお世話をなさってるの?」
「世話ってほどのもんじゃないがね。気にかけているのさ。だが、オレが直接会いに行くと、なんだか兄貴に悪いような気がしてさ。それで今回は、お嬢ちゃんにお願いしたって訳だ。あの人が寂しい思いをしないようにね」
「おばさまのお話し相手をすればいいのね?」

おじさまは頷いた。いつもはおどけてばかりのおじさまが、その時だけは神妙な顔つきになっていた。

「あの女性はねえ、親が決めた婚約者とは言え、兄貴にはもったいないようなマドンナなんだ。吉永小百合みたいに清らかで美しくてさ。見た目だけじゃない、心もとって純粋で、穢れない清らかな女性なんだ。オレみたいな薄汚れたジジイには会わない方がいいのさ」
「そう…?」
「あの女性をよぉく慰めて来てくれよ。な。お嬢ちゃんを見込んでのお願い事だ」

フラペチーノを飲み終わるまでひとしきりお喋りした後、私はおじさまと別れ、目的地へと向かうバスを探した。そして目当てのバスに乗り込むと、最前席に座り、顔を窓に向けた。

私がバスの最前席に座るのには理由がある。ここんところ、私は幸せ過ぎてダメなのだ。誰かと接している間は澄ましていられるのに、一人切りになると、ほっぺが勝手に緩んじゃうのだ。こんな恥ずかしい顔はマスターにも見られたくないと思うほど、ニマニマしちゃうのだ。
こんなので電車に乗ったら、周りから不審な目で見られてしまう。その点、バスの最前席は他のお客さんから見えにくいので都合がいい。
誰にも見られていないのを良いことに、一人でニマニマすること数十分。バスは目的地に着いた。

バス停からしばらく歩いたところに、その老人ホームはあった。瀟洒な花壇に囲まれた高級な雰囲気の建物だ。私はニマニマするのをグッとこらえ、スンといつもの澄まし顔に戻った。そして、ホテルライクなエントランスに入り、受付のコンシェルジュに用件を伝えた。



(つづく)





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