短編Ⅴ | お使い猫 2/3
「まあ、いらっしゃい。本当に仔猫みたいにかわいらしいお嬢さんね」
コンシェルジュに案内されて部屋に入ると、ベッドの上から華やいだ声が聞こえた。見ると、ロマンスグレーの髪を上品にセットした、とても美しい老婦人が横たわっている。なるほど確かに、駅のポスターでたまに見かける『吉永小百合』とかいう女優にそっくりだ。可憐で清らかで、トイレなんか絶対行かないような顔をしている。
「はじめまして。おじさまのお使いで参りました」
「ええ、ええ。お嬢さんのことは彼からの手紙で知ってるわ。ベッドの上からごめんなさいね。圧迫骨折の治療中なの」
ワンルームマンションくらいの広さの室内は、アンティーク調の家具で統一されている。私は紙袋からフラワーアレンジメントを取り出すと、精巧なレースがかかったサイドテーブルの上に置いた。紙袋の中に焼き菓子の小箱も入っていたので、それをウェッジウッドのお皿にあけ、紅茶を淹れた。そして、肘掛椅子をベッド脇に運んで腰を下ろすと、おばさまのお話の聞き役に徹した。
一日中ベッドから動けないので、話し相手に飢えていたのだろう。おばさまは弾んだ声でたくさんお話ししてくれた。住んでいた家のこと、生まれ育った街のこと、通っていた女子大のこと、その他、いろいろ。
おじさまのお兄様と婚約していた頃は、とても裕福な銀行家のお嬢様だったことも話してくれた。そういう世界と無縁な私にはどのお話も興味深くて、つい夢中になって聞いてしまった。そんな私におばさまも気を許して、亡くなった旦那様との素敵なラブストーリーまで聞かせてくれた。
◆
楽しい時間はあっという間に過ぎて、そろそろお暇しようという頃。おばさまは枕の下から結び文を二つ取り出し、私に手渡しながら言った。
「お嬢さんには手間をかけてしまうけれど、ちょっとお願いがあるの」
何か大切なお願い事のような気がして、私が黙って頷くと、おばさまは声を潜めた。
「二つ隣のお部屋にね、とっても素敵な男性が住んでいるの。その人に、この手紙をこっそりと届けて下さる?」
私は思わず小首をかしげた。
「それからこっちは、斜め前のお部屋の男性に。あのね、ここは暗黙理に入居者同士の恋愛を禁止しているの。だから、スタッフさんには見つからないように注意して、ね?」
私が少し困惑しているのがわかったのだろうか、おばさまは声を潜めたまま含み笑いをして、説明モードに入った。
「だって、主人が亡くなってもう5年が経つんだもの。そろそろ恋愛したいじゃない?このホームには素敵な紳士がいっぱいいるの。私、第二の春を楽しみたいのよぉ」
「はあ…」
「主人と一緒になってからは不倫したことなんてないわよ?でも私、独身の頃はとってもモテててたの。ほら、お嬢様学校に通ってたし、顔もこんな風に清純派の美人じゃない?街を歩くだけでも大変だったのよ。あの楽しい日々を、もう一度取り戻したいの」
「ええ…」
「うふふ、実はね、私、あなたが知ってるおじさまとも、キスしたことがあるのよ。婚約者が死んじゃったって聞いてね、私、信じられなくておうちまで行ったの。そしたらそこに、あなたのおじさまがいてね。婚約者と瓜二つなんだもの。二人で海岸を歩いているうちに、そんな雰囲気になっちゃって。うふふふ。私も罪な女よねえ」
「あの、えっと、わかりました。このお手紙をこっそりとお届けすればよろしいんですね?」
「そう。どうぞよろしくね。あ、おじさまにはこのことは内緒にしててね。彼、わたしのことをとっても清純派だと信じ切ってるから」
「はい…」
私は動揺を押し隠しつつ、丁寧にお辞儀をしてドアを閉めた。
(つづく)