【創作大賞2024オールカテゴリ部門】たそがれ #07
《前回のお話はこちら》
多摩駅を降り、瑠奈とリオは多磨霊園に向かって歩いた。住宅街の小道を抜けながら、リオが言った。
「さっきから思っていたんですが、そのバッグ、とても素敵なデザインですね。それに、よく使い込んである。」
「ああ、これはね…付き合ってる彼が、初ボーナスで買ってくれたんだ。プチブランドだけど。まだ給料が少ない頃に、奮発してくれて。」
瑠奈は、黒革に走る白糸のステッチを指先でなでる。何度もクリーニングに出して、色を入れ直して、大切に使ってきた。
「瑠奈さんも、彼氏さんからもらったものを大切にしてきたんですね。僕が母からもらったお守りを大切にしているように。」
「うん…そうだね…でもね…私たち、春が長過ぎちゃったの。…もうダメかもしれない。」
麗奈はつぶやくように言って、遠くを見つめた。リオは何も言わず、麗奈の次の言葉を待っている。瑠奈は、独り言のように話を続ける。
「浮気現場を見ちゃったんだよね。それで、逃げ出しちゃった。…自分の目で見たのに、まだ信じられないの。信じたくないから、見なかったことにしたいの。でも、やっぱり、見ちゃったんだよね。
…でもね、私だって、本当は、そんなに圭太のことを大事に思っていなかったのかもしれない。ここまでダラダラと付き合ってきて、もう他に相手もいないから、妥協で結婚しようとしていたのかもしれない。そうだとすれば、私も悪いよね。だったら、仕方ないよね。圭太のこと一方的に責められないよね。
…浮気されてさ、自尊心傷つけられてショックなだけかも知れないし…相手の女が私と全然違うタイプだから腹が立ったのかもしれないし…。これまで一生懸命勉強して、一生懸命仕事して、ここまで頑張って来たけど…。
…圭太はああいう女が好きだったのか、って思うと、私の全部を否定されたような気がして…そう、それだけなのかも。きっと、その程度よ。私だって。」
「…瑠奈さん。」
リオが立ち止まり、それに合わせて、瑠奈も立ち止まる。
「瑠奈さんは、もう少し馬鹿になった方が良いですよ。」
「…馬鹿に?」
瑠奈は自嘲的な笑みを浮かべた。
「そうだね。なんだかんだ言って、男は馬鹿な女のほうが好きよね。こんなギスギスした小賢しい女じゃなくてね。」
「いえ、そういう意味ではなくて。」
美しいリオが、真面目な顔で瑠奈に向き合っている。
「そんなに理詰めで考えずに、自分の感情をに素直に従えばいい、という意味です。」
瑠奈はその場に立ち尽くして、リオをじっと見つめる。
「だって、瑠奈さんは、彼氏さんからもらったバッグを、丁寧に手入れしながらずっと大切にしてきたんでしょう?その行動が、瑠奈さんが彼氏さんのことを深く愛していることを、十分に物語っているじゃないですか。」
「…リオくん、そんなこと言わないで…」
瑠奈の声がわずかに震える。
「じゃあ、仮に私が圭太のことを深く愛しているとして、圭太と他の女が抱き合ってたこと、どう受け止めればいいの。」
「受け止めなくていいんです。怒ればいいんです。傷ついたってこと、彼氏さんにちゃんと伝えて、一発殴ってやればいいんです。そして…彼氏さんが謝って、心を入れ替えるって約束してきたら、許してあげればいいんです。」
「許すって…そんな簡単に許せないよ。」
二人はしばらく無言で見つめ合う。
「…たとえ許せなくても、大切な人なのであれば、どうか、自分から手を放さないでください。彼氏さんが瑠奈さんを裏切ったとしても、どうか瑠奈さんは、自分自身を裏切らないで。」
瑠奈の目から涙が一筋流れ落ちた。
◆
多摩霊園の入口に着いたときにはもう午後四時を過ぎ、木々が地面に長い影を落としていた。
「お墓の場所を聞いてくるので、ここで待っていてください。」
リオは瑠奈から戸籍証明書を受け取り、管理事務所に向かって走っていった。瑠奈は夕暮れの霊園を見渡した。かつて父親と一緒に通ったはずなのに、ほとんど何も覚えていない。
しばらくぼんやりと佇んでいると、リオが案内図を手に戻ってきた。二人は並んで墓地を歩いていく。大きな墓所群を過ぎ、比較的小さな区画が並ぶエリアで、リオは足を止めた。
「ここですね。」
目の前の墓石は一抱えほどの黒御影で、花立石の家紋は、瑠奈の家と同じ木瓜紋だ。墓石の真ん中には「空」の一文字が彫られ、その背後には、満開の桜が夕日に照らされている。
「僕はあちらで待っていますね。閉門時間までまだ余裕がありますから、お母様と心ゆくまでお話してください。」
そう言うと、リオは瑠奈を残して遠ざかって行った。
(続く)
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