【創作大賞2024恋愛小説部門】早春賦 #04「三人の出会い」
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三年前の十二月。
小雪がちらつく寒空の下で、若葉はママに拾われた。路上で男と言い争い、思い切り殴られて転倒したところに、ママが通りかかったのだった。
若葉は福岡の県立高校を卒業し、その卒業式の格好のまま、家出した。広島で働き、神戸で働き、そして大阪に流れ着き、ママに出会った時には二十二歳になっていた。
男に殴られたのは非常にベタな理由で、キャバ嬢をしながらホストに入れ揚げ、貸した金を取り戻そうと男の店に押しかけて、あっけなく外に放り出されたのだった。
普段のママはこの界隈に立ち入らないが、この日はたまたま、仲の良いママ友達との会合があり、大通りに抜ける途中でこの場面に出くわしたのだ。
若葉はほぼ下着のような露出度の高いドレスを着て、その上に白いダッフルコートを羽織っている。
転倒したはずみで手足を派手にすりむき、コートは泥水を吸って薄汚れている。
ピンクベージュに染めたミディアムショートは激しく乱れ、口元は赤く腫れ上がって血にまみれている。
なんとも凄惨な姿である。
しばらくの間、通行人が遠巻きに眺めていたが、やがて人垣がほどけたところで、ママは若葉に声をかけた。
「あんた、大丈夫?立てる?」
若葉は返事をせず、のろのろと上半身を起こした。その暗く沈んだ虚ろな目つきに、ママは、はっとした。
「うちのお店においで。手当したげるから。」
ママは若葉の腕を取り、立ち上がらせた。抵抗する気力も残っていないのか、若葉は逆らわず、腕を取られたまま、大人しく従った。
ママは、新地の外れの古い雑居ビルに入り、エレベーターで三階へ上がって、「バー・こずえ」とサインがかかった扉を開いた。
店の内部は年季が入っており、マホガニーを基調とした落ち着いた内装に、ダウンライトの暖かな光がポツポツと落ちている。
内部照明が仕込まれた大きな棚には様々なボトルがびっしりと並び、その前で、やけにでかいヤクザのようなおっさんが、カウンターの片付けをしている。
「モクさん、ちょっとごめんなさいね。」
モクさんと呼ばれた男は、ママに黙って頷き返し、ちらりと若葉を一瞥した後、何も見なかったような顔をして作業に戻った。
ママはカウンター奥の控室に入っていき、残された若葉は、ママに示されたスツールに座って、カウンターに突っ伏した。
しばらく経ち、鼻先を甘いバターの香りがかすめたような気がして、若葉が顔を上げると、いつの間にか目の前に、湯気を立てたマグカップとおしぼりが置かれていた。
辺りを見回すが、近くに人影はなく、ヤクザのようなおっさんは、奥のソファ席を拭き清めている。
マグカップの中は、細かく泡立った褐色の液体で満たされていた。若葉は汚れた手をおしぼりで拭い、マグカップを両手で持って、口をつけた。
甘く濃厚な液体が、喉を通ってみぞおちにとどまり、冷え切った躰を内側から温めていく。
過度な緊張がじわじわとほぐれ、若葉の目から涙がこぼれて、はがれたマスカラと共に、目の回りを黒く汚した。
「あら、ホット・バタード・ラム。あったまって、ええでしょ。」
割烹着を身につけたママは、奥から出てきてそう言うと、持ってきた救急箱を開いた。
コートを脱がせてみると、若葉は肩や二の腕にも傷を負っていた。胸乳と臀部だけは肉付きが豊かだが、その他の部分は痩せ細り、肩甲骨がくっきりと浮き出ている。
ママはタオルを湯につけて傷口の汚れを丁寧に拭い、消毒液を浸しながら、若葉の身の上話を上手に聞き出した。
最後に傷あてパッドを留めつけて、ママは再びカウンターの奥に入った。そうして、しばらくして出てきて、はい、と若葉に茶封筒を差し出した。
「さ、これで来月はなんとかなるやろ。」
「え、これって…。」
若葉はたじろぐ。ママは観音菩薩のような慈悲深い笑みを浮かべて若葉の手を取り、封筒を握らせた。
「ええから、今日んところは機嫌よう受け取ってちょうだい。私に恥をかかせんといてな。どうせ、年末年始にあちこちのお宮さんへお納めするんやもの。今年はあんたがその代わりや。これで、落ち着いて仕事を探したらええ。あんたはまだ若いんやから、失敗してもなんちゅうこっちゃないよ。」
そうしてママは、ヤクザのようなおっさんの方を見やりながら言った。
「それでも困ったことになったらな、遠慮せんと、うちに相談に来たらええ。ほら、三人寄れば文殊の知恵、っていうやんか。な。」
その一か月後、若葉はこの店で、ホール担当の女の子になった。『若葉』という源氏名は、ママがつけてくれた。
◆
さて、話は現在に戻る。
その日の閉店後。カウンターを片付けているモクさんに、若葉はそっと近づいた。何しろモクさんは取りつく島もない人なので、話しかけるのに甚だ緊張を要する。
「あの…モクさん。」
声をかけるが、モクさんはまるで何も聞こえていないかのように、顔を上げず黙々と作業を続けている。
「あの、昨日はごめんなさい。酔っ払ってる間は、ようわかってへんかったけど、後でよう考えたら、実はあたし、モクさんにかなり迷惑をかけたんちゃうかと思うて…。モクさんの服がえらい汚れてたの、あれ、あたしのせいやろ?ほんま、ごめんなさい。」
モクさんは返事をしない。モクさんに言わせれば、何をいまさら、いつものことやろ、なのである。
「それで、それから…あの。」
モクさんが反応しないので話を続けにくいが、それでも若葉は頑張っている。
「…たくさんお姫様抱っこしてくれて、ほんまにありがとう。めちゃ、嬉しかった。」
モクさんは思わず作業の手を止めて、若葉をちらりと見た。若葉は胸の前で手を組み、顔を赤らめながらモクさんの顔を見つめている。
その時、ママが入口ドアから、「若葉ちゃん、そろそろ帰るで」と声をかけてきた。
若葉は慌てて「はぁい」と返事をし、コートとバッグを持ってママの後を追いかけると、「お疲れさまでしたぁ」と挨拶をして、店を出て行った。
一人、店内に残されたモクさんは、呆然としている。若葉の素直さと率直さには、たまに度肝を抜かれる。そして、そういうところにも、若葉の幼さを感じる。
「…覚えてたんか。」
…泥酔して理性が飛んでも、記憶は部分的に残っているのか。それは今後、要注意だな。
そう心の中で呟きながら、モクさんはカウンターの上を乾拭きし、店の片付けを終えた。
(続く)
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