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崖っぷち三児の母が、なぜか転職に成功したお話 2012

こんにちは。鳴海  碧(なるうみ・あお)です。
本日は、私の転職体験談を書きたいと思います。

余すところなく書いていたら、随分と長文になりましたので、目次を参考に、お好みの箇所だけ拾い読んでいただければと思います。


ちなみに、鳴海は過去に2回転職しています。
1回目は2012年、2回目は2020年です。

2回目(2020年、40代半ば)はリファラル採用だったので、サクッと転職できました。
・ワーママが市民権を得た
・息子たちが大きくなった
・キャリア採用が珍しくなくなった
・氷河期世代の技術者は売り手市場
そんなことも追い風になりました。

一方で、1回目(2012年、30代半ば)の転職活動は、逆風真っただ中でした。
・ワーママは社会のお荷物
・末っ子はまだ1歳
・新卒採用至上主義
・リーマンショック後の景気後退
(建設業界の景気の波は少し遅れるのでね…)


そんな中、パワハラ・セクハラ・マタハラが当たり前(2012年当時)の建築業界で、崖っぷちの三児の母・鳴海は、なぜ転職に成功できたのか…?


愛と奇跡の感動物語!笑
よろしければ、どうぞお付き合いください。




プロローグ.そこは憧れの会社だった


2012年。
超保守的な老舗企業に勤めていた私は、三人目の息子が1歳になったとき、退職を決めた。

私が勤務する東京支社は80人。その中で女性技術者は5人。ワーママは、後にも先にも私一人。深夜残業・休日出勤が当たり前の職場で、出産後も働き続ける女性は皆無だった。
大阪本社にはワーママが数人いたが、当時は、育児を他人に任せて仕事に邁進するか、あるいは助手の立場に甘んじるかのどちらかだった。
(2024年現在の同社は決してそんなことはない、と付け加えさせていただく。時代は大きく変わったのだ。)


そんな中。
若い時に鍛え上げてくれた上司からの薫陶のおかげで、私は残業も休日出勤もせず、さりとて助手のポジションにも下がらず、限られた時間で必死に働き、ポジションを維持していた。

長男出産当時、周囲からの理解はゼロ。後輩男子にまで「会社のお荷物なのになんで辞めないんですか」と言われるような状況だった。
慣れない育児。保育園からの急な呼び出し。思うように進められない仕事…あの頃は本当に、いばらの道を泥水すすりながら、泣きながらほふく前進しているような気分だった。

それでも私は前に進んだ。次男妊娠中のつわりは大変重く、おまけにパワハラ上司と二人きりのプロジェクトを任され、頻繁に過呼吸の発作を起こして苦しんだが、歯を食いしばって頑張った。マミートラックには絶対に乗らない、と心に決めて頑張った。

この日のために、二十代を鬼上司に捧げたのだ。
努力が報われる日がきっと来る。


次男出産後。
努力の甲斐があり、育児に慣れ、保育園からの急な呼び出しに柔軟に対応できるようになり、仕事を効率よく進められるようになった。
私を批判していた社員も、一緒に仕事をすれば黙るようになった。「無駄に残業をするのが恥ずかしい」とか「働くお母さんがいる職場はいいですね」とか言う社員まで現れた。上司からの勤務評価も上々だった。


三男出産後。
あまり知らない営業部長が「三回も育児休暇を取ったのだから、もう設計の仕事は無理だろう」と言い出し、私は営業部に回された。そこでの任務は「仕事ができない営業部員のしりぬぐい」だった。
なるほど…誰もやりたがらないことを、立場の弱い私に押し付けた、ということか。
それはそれで、なかなか興味深かった。現場では知り得なかった舞台裏、ひいては会社の闇をたっぷりと見せてもらった。


そうして一年が経ち、末っ子が1歳児クラスになった時。
もう、これ以上ここにいても、何にもならんな」と思うようになった。

競合他社が軒並み東京に本社を置くなか、我が東京支社の営業チャンスは限りなく小さい。そのことが、この一年でよくわかった。それなのに、旧態依然とした社風。成長痛を忌避する社員たち…。

私が頑張って昇進したとしても、仕事ができない先輩たちのしりぬぐいは続くだろう。ここにいたら、私の市場価値は下がり続ける。

そこに、大変お世話になった上司の勇退が重なった。


辞めるなら、今だな。そう思った。
だが、夫と三人の息子を養わなければならない。
会社を辞めたとして、そのあとどうする。
この不景気に、果たして、ワーママを雇ってくれるような会社があるのか。


散々、悩んだ。
悩んだ結果、退職願を出した。
退職する前に転職活動をすれば、覚悟が鈍る。
中途半端な覚悟では、神様は絶対に味方をしてくれない。
私は敢えて、自分を崖っぷちに追い込み、神様に運命を委ねることにした。


そして、退職願を出した数日後。
なんの気はなしに、競合他社のホームページを開いた。
そこは、20代の頃から憧れ続けてきた企業だった。

「中途採用募集」の言葉が目に飛び込んできた。

長い支社勤務で、落穂拾いのようなプロジェクトしかなかったため、その企業が求める実績はなかった。だが、「チャレンジするなら、今しかない!」と思った。

私は覚悟を決めたのだ。
崖っぷちに自分を追い込んだのだ。
神様が絶対に見方をしてくれる。

謎の自信が沸き上がった瞬間だった。


前置きが随分と長くなってしまったが、ここから、転職活動において私が実践したことを書く。
なにぶん、12年前のことだ。時代が変わり、価値観も変わった。現代において役に立つかどうかはわからないが、ちょっとでも参考になれば幸いだ。

Ⅰ.実績不足をカバーする「三つのお土産」

充分な実績を持っていないが、憧れの企業に入りたい。
実績の不足分をカバーするにはどうしたらよいだろう。
私は下記のように考えた。

「この人なら採用しても大丈夫」と安心させる

『2・6・2の法則』というが、多くの企業は若手に対して『6割の働きアリ』を求めている。まず私は、「当たり前のことを当たり前にこなすために、具体的にどんな工夫をしているか」をアピールした。

私の場合、業務効率化のために編み出した幾つかのチェックフロー、チェックリスト、それをPDCAサイクルに乗せて日々改善していくプロセス、プロジェクトへの波及効果について紹介した。

ワーママは「育児と仕事をちゃんと両立できているか」も問われる。
私の場合、翌日の急な欠勤に備え、終業前の15分をチームメンバーへの申し送りタイムとしていること、机上の資料やデータは見出しをつけてファイリングし、電話でスムーズに指示できるようにしていること、一人で抱え込まずに二人体制で進めていることなどをアピールした。
どれも、誰もが普通にやっていることだ。若いうちは、この普通のことを意識して効率的にこなし、日々のルーティンにきちんと落とし込めているか、が問われると思う。

その上で「スプーン一杯の自己顕示」を。
自分の市場価値を高めるためにどんなユニーク経験を積んできたのか、どんな成果を挙げてきたか、謙遜しつつもちょっとだけ自慢する。
私の場合、二十代は自ら手を挙げて鬼上司の部下になったこと。そこで身につけたスキルを駆使し、お客様からお誉めの言葉をいただき、次の受注につなげたこと。
おじさま好きなキャラを活かし(とはさすがに言わなかったが)工事現場の所長や代理人ととても仲良しになって色々ワガママを聞いてもらったこと。(男女問わず、若手がおじさま好きをアピールするとかなり好感度が上がる。おじさま達は、若者から嫌われていないかと、とても不安なのだ。)
もちろん、「上司と先輩方のおかげで…」という感謝の言葉を忘れない。

「積極的に会社に貢献しています」が大事

建築業界において、会社貢献を考えている若手社員は非常に少ない。大抵は自己実現のことしか考えていないものだ。
その中で、会社貢献を実践していることは大きな差別化を図れると考えた。

私の場合、営業部所属という立場を活かし、「プロポーザル講評会」を勝手に開催していた。具体的には、提出済のプロポーザル提案書を社内のあちこちに貼り出す。アットランダムに5人の社員を指名し、その講評をA4×1枚に書いてもらう。(講評を書きやすいよう、紙面の上半分は4択のアンケートとし、自由記述欄は小さくした。)その講評を提案書の隣に貼り出す。

これが意外と好評だった。それまでのプロポーザル提案書は、社員が忙しい業務の合間に作成するので、いい加減なものが多かった。提出後、それらは人目に触れずに埋没していた。
それが、社内のあちこちに貼り出されるようになったことで、担当した社員が本気で取り組むようになり、ぐんぐんとクオリティが上がった。私がたまに、当選案を入手して隣に並べたりするので、クオリティがさらに上がった。講評する社員も本気で講評文を書くようになり、普段は発言権を持たない若手社員が、レポート用紙を追加して書いてきたりした。
この「プロポーザル講評会」を開催する前、わが社のプロポーザル当選率はたったの1割だった。それが、講評会の最終年度には、5割に達するようになっていた。

この「プロポーザル講評会」と並行して、私は「プロポニュース」というメルマガを勝手に配信していた。現在取り組み中のプロポーザル、結果が出たプロポーザル、当選率、当選した担当者の声を書いた。
その片隅に「今日の若いもん」というコラムを作り、新入社員の自己紹介を付けた。これが意外と好評だった。どちらかというと主張がない新入社員が、ものすごい熱量で自分の趣味のことを書いてきた。そこに私がちょっとふざけた感想文をつけると、喫煙コーナーで話題になった。彼らから「あのコラムがきっかけで社内になじむことができた」と感謝されたりした。

面接の場で、そんなことをテンション高めに面白おかしく話した。


「できていないこと」を敢えて明確に伝える

いいことばかりを伝えるのは胡散臭い。
若手の場合、「自分はまだ成長途中である。特にここが未熟である。だから、日々こんな努力をしている」をきちんと話した方が「冷静に自己分析できる人」として好感度が上がる。
私の場合、建築資材や工法についての知見が大幅に足りない、ということを話した。そのためにどのようなことを意識し、どのように勉強しているか、を話した。




Ⅱ.ついついやりがちなNG

これは、今の時代なら、転職エージェントが教えてくれることだろう。2012年当時、転職エージェントを使う人はあまりいなかったので、私は夫に教えて貰った。(当時、夫は小さな会社の採用担当だったので、面接官の視点を持っていた。)

自分の実績を過剰に盛る

実績を語る時、採用する側は「自社のどの社員と同じレベルか」を想像しながら聞く。特に競合他社への転職であれば、横並びに比較されやすい。だから、嘘はバレる。大げさもバレる。「そんなわけないだろ」と疑われる。

ワーママの利点を過剰に語る

採用する側は「ワーママの採用は少し不安」と思っている。不安を持っているので、ちょっと斜に構えている。
そんな状況なので、「子どもがいることでこんな視点を持てるようになりました」とか「子どもがいることで働き方を改善できました」とかはあまり言わない方が良い。胡散臭く聞こえるからだ。

ワーママとしては、「子どもがいることが自分の弱点になるのでは」と不安になる。それでつい、その利点をアピールしたくなるかもしれないが、「子どもがいることで…」とつける必要はない。子どもがいてもいなくても、あなたが優秀であることに変わりはない。そのことを淡々とアピールすればよい。

今の会社への不満を匂わせる

これは言わずもがな。絶対にやめよう。
「今の会社は子育てへの理解がない」とか「今の会社は子育て制度が万全ではなく、だから御社に転職しようと思った」とか、つい言いたくなるが、我慢しよう。本人は事実を述べているだけでも、聞いている採用担当は、「この人はどの会社に行っても不満を持つのでは」と思ってしまう。
「退職理由」に、今の会社への不満は必要ない。「御社でぜひ働きたいから」で充分だ。




Ⅲ.最終秘密兵器「大阪のおばちゃん」

これは、誰もが成功できるものではないかもしれない。
正直、効果があったかどうかもわからない。
だが、私は敢えて「大阪のおばちゃん」になり切って、図々しく面接に臨んだ。


社長と役員に「愛」を語ろう

私が受けた企業は、もともと夫が勤務していた企業だった。
夫が退職して十年後に私が転職活動をしているわけだが、当時の価値観として「退職者=裏切り者」だった。

しかし私は、敢えて夫を「使った」。
夫の大学の先輩が役員になっている、と聞き「妻をどうかよろしくお願いします。会うだけ会ってやってください」と電話させた。すると、たまたま、その役員が採用担当であることが分かった。

私はその役員に、かなり長いラブレターを書いた。なぜ自分は建築設計の道に進んだか。今の会社で経験した感動の出来事。仕事への意気込み。御社に対する熱い想い…。もちろん手書きだ。上質な便箋に万年筆で何枚も書いた。そして「とにかく一度会ってくれ」と締めくくった。

最終面接では、社長にも、ラブレターと同じ内容を、身振り手振りを加えて熱く語った。特に「御社に対する熱い想い」を語るところでは、ちょっと熱くなりすぎて、涙ぐんだりした。後日、同席していた他の役員から「あんなスピーチをするヤツ見たことがない」と言われた。


面接シミュレーションを徹底しよう

私は大変な上がり症だ。
面接で上がらないために、どうすればいいか。
面接官を「親戚のおじちゃん・おばちゃん」と思えば良い。

私の場合、採用担当役員が誰なのかわかったので、その人のポートレートをネット検索した。そして、そのポートレートを常にパソコン画面の片隅に表示し、仕事中ずっと眺めながら、心の中で話しかけ続けた。
面接で何を質問されるか、そしたらどう答えるか。想定問答集を作り、そのポートレートを見つめながら、延々とシミュレーションを繰り返した。雑談したりもした。

おかげで、本人に会った時には「おじちゃん会いたかったわ~!」と声をかけそうになるほど親近感が湧いていた。


給与交渉は強気でいこう

これは、神田昌典/著『非常識な成功法則』の受け売りだ。
自分の年収は自分で決めろ    
私はそれを本気で実践した。(人にはオススメしない。)

給与交渉は、採用担当役員と専務が相手だった。
専務から希望を聞かれたとき、私は「残業なし、休日出勤なしで、〇〇万円でお願いします!」とかなり強気な発言をした。その瞬間の専務のギョッとした顔を忘れられない。
それは、私と同年代の結構なポジションの社員であればもらえるであろう、といった金額だった。専務の顔には「お前さんにそんな自信があるんかい」とあからさまに書いてあった。
だが、自信をもって良いのだ。それだけの働きをお見せします、という顔をしていれば良いのだ。

その、根拠のない自信が功を奏したのか。
結果的に、希望通りの給与を貰えることになった。
それは、前職から3割増の金額だった。



エピローグ.その後…

2012年。転職が成功し、私は憧れの企業に入社した。
本当に、憧れたとおりの企業だった。

そこで私は、思い切り楽しく仕事をした。
上司に恵まれ、同僚に恵まれた。
残業も休日出勤もしないつもりが、仕事が楽し過ぎて、結局、めいっぱい働くようになった。


だが、そんな楽しい時間にも、いつかは終わりがやって来る。
2020年、コロナ禍の真っただ中。
私は二度目の退職願を出した。
その時には既に、今の会社への転職が決まっていた。

転職理由として…
めいっぱい働いた結果、燃え尽きてしまった、というのがある。
コロナ禍で人生観が大きく変わり、仕事よりもプライベートを大切にしたい、と思うようになってしまったのもある。
経営陣の総入れ替えで、以前のような楽しい会社ではなくなってしまった、というのもある。

それでも、あの時。
私は転職して本当に良かったと思う。
もしもあのとき尻込みしていたら、私は今でも燻ぶったままだっただろう。



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