【創作大賞2024オールカテゴリ部門】たそがれ #04
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「すみません。自分のことばかり話してしまって。」
急に表情を曇らせて黙り込んだ瑠奈を気遣い、リオが言った。
「あ、いえ。そうじゃないんです。ごめんなさい。」
瑠奈は我に返ると慌てて弁解し、早口で言葉を続けた。
「お母さんと二人きりなんですね。リオくんみたいな優しい息子さんがいるなんて、うらやましいなあ。私もね、生まれてすぐに母が死んじゃったから、しばらくは父と二人きりだったんです。今は新しい母と妹がいますけど。」
気が動転しているからか、やけに饒舌になる。
「そうなんですか…瑠奈さんのお母様は、亡くなられて…。」
「ええ、そう。でもね、母のこと何も知らないんです。父が再婚するときに、新しい母がかわいそうだからって、写真も何もかも処分しちゃって。まだ幼稚園に通ってた頃だから、母の写真とかほとんど記憶になくて。どんな顔をしていたかも覚えてない。」
「…僕の父は、年に何回か、僕たちに会いに来てくれているんです。一緒に暮らせない寂しさはあるけれど、父の話を聞けるし、人となりを理解することはできていて…。瑠奈さんは、お母様に会いたいと思いますか?」
「…どうだろう。物心ついた頃にはもういなかったから、寂しいという気持ちはないけど…。でも、そうだな。どんな人だったのかを知りたい、というのはあるかな。」
瑠奈は長いこと自分に対し、産みの母に想いを馳せることを禁じていた。
父は、再婚するとき、結婚式場で、瑠奈の手を取って、こう言った。
「瑠奈、これからはナオコさんがママだ。瑠奈の母親はナオコさんだけだ。瑠奈はお利口さんだから、パパの言うことがわかるね?」
幼い瑠奈は父の目をじっと見つめた。
「…パパ、前におばちゃんたちが言ってたことって…」
「忘れるんだ。瑠奈。おばさんたちの話は出鱈目だ。全部忘れるんだ。いいね、瑠奈のママはナオコさんだけだ。」
その一年ほど前。あれは多分、産みの母の七回忌の法要だったのだろう。
親戚たちが話していたことを、瑠奈は遠い記憶の底から引っ張り出す。
「瑠奈ちゃんは、ヨウコさんに似てきたねえ。」
「やっぱり女の子には女親が必要じゃ。義明もそろそろ再婚せんと。」
「ほんじゃけんど、そいじゃあヨウコさんがかわいそうじゃ。瑠奈ちゃん、まだ小さいけん、たいてい、産みの親のことを忘れてしまうぞね。瑠奈ちゃんを産んだせいで、ヨウコさんは死んだのに。…それに」
「やめろ!」
そのとき、別室から戻ってきた父が、大声で遮った。
「瑠奈の前でその話をせんといてくれと、頼んどいたろうが、姉さん!」
普段は温厚な父の顔が鬼の形相に変わり、怒りで肩が震えている。
「ほんじゃけんど、ヨウコさんがあまりにかわいそうで…」
「違う。ヨウコがかわいそうやから言うとるんじゃないよ、姉さんは。かわいそうに思うとるフリをして、ええ人ぶっとるだけじゃ。」
「なんぞね、その言い方は!わざわざ四国から来てやっとんのに!瑠奈ちゃんやって、ホンマのことを知っといたほうが良かろうがね!」
「うるさい!瑠奈の親はワシじゃ。あんたやない。…ああ、もうええ。絶交じゃ。金輪際、ワシらに関わらんといてくれ!」
忘れろ。忘れろ。忘れろ。全部。パパの言い付け通りに。
「…そうね、母がどんな人だったか、私、何も知らないの。本当に、何も残っていないの。親戚づきあいもないから、母のこと、誰にも聞けない。」
リオの長く美しい指先が、グレーのクマの小さな腕を優しくなでている。
「どうもね、私が生まれた次の日に亡くなったみたい。父が再婚するまでは、二人でお墓参りに行ってたから。それが、いつも、私の誕生日の次の日だったから。」
そこまで言って、瑠奈はふと思案顔になると、
「そうか…じゃあ、今日はママの命日で…三十三回忌なんだわ。」
と、小さくつぶやいた。
「…三十三回忌?」
リオは少しだけ語気を強めた。
「今日はお母様の三十三回忌、ですか?」
「うん、私、昨日が三十二歳だったから。…あ、年齢ばれちゃった。」
「瑠奈さん、じゃあ、お墓参りに行かなくちゃ。」
「えええ…お墓がどこにあるのか、もう覚えてないよ。」
「でも、会いにいかなくちゃ。…知りませんか?三十三回忌で、故人は成仏してしまうんです。現世での記憶も、名前も、全て忘れて、仏様の弟子のひとりになってしまうんです。」
「リオくん、ずいぶんと詳しいんだね。お坊さんみたい。ああ、でもその話、聞いたことがあるな。昔、映画であったよね。尾野真千子が主演で、カンヌを取ったヤツ。」
「瑠奈さん、お墓を探し出して、お参りに行きましょう。きっとお母様が会いたがっている。成仏する前に、瑠奈さんの姿を一目見たいと願っているに違いないですよ。僕にはわかるんです。母親というものがどれだけ子どもを愛しているか、そばでずっと見てきたから。」
愛してるって…
実際に口に出して言う人を初めて見た。
見た目が天使だから、心も天使なんだろうか。出会ったばかりの薄汚れたおばさんのお墓参りのために、こんなに一生懸命になってくれるなんて。
瑠奈にしても、普段ならこんな話に乗ることはないだろうが、今は心境が違う。圭太の浮気から意識を逸らしたい。圭太の喘ぎ声を思い出したくない。圭太に馬乗りになっていた、あの女の豊かな美乳のことも。
「そうね…本当にお墓を見つけられるなら、行ってみてもいいかも。」
車内にチャイムが流れ、間もなく品川駅に到着することを告げた。
(続く)
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