
ゲームの中の私
『ゲームの中の私』
麻美は、ゲームの世界で生きていた。
最初はただの暇つぶしだった。疲れた夜にふと開いたアプリが、彼女を引き込んだ。最初はキャラクターを作って、クエストをこなすだけ。ひたすら戦い続けるだけの簡単なゲーム。けれども、ゲームの世界の中で得られる**「報酬」**が麻美の心に次第に強く影響を与えていった。
最初の「レベルアップ」が嬉しかった。画面上でチュートリアルを終えて、ようやく始めたばかりのキャラクターが「レベル2」に達したその瞬間、麻美の中で何かが弾けた。現実では得られない、ゲームの中でしか味わえないあの爽快感。それが麻美にとってのすべてに変わった。
だんだん、麻美は気づくとその世界にのめり込んでいた。夜中までプレイし、寝不足で仕事に行き、またその足で帰宅してゲームの世界に入る。ゲームの世界では、自分がヒロインになれる。何者にも邪魔されず、ただ自分だけのスリルと達成感を感じることができる。
一度、ゲーム内で大きなイベントが開催され、麻美はそのイベントの最上級の報酬を狙って、寝る間も惜しんでプレイし続けた。仕事も、家事も、彼女にとっては二の次だった。画面に映るキャラクターの動きが、まるで自分の一部のように感じられた。
ある夜、イベントが終了し、大きな報酬を手に入れた瞬間、麻美は思わず画面に手を伸ばした。「やった!私、やったんだ!」
その勝利の瞬間、彼女はその喜びを一人で噛みしめた。だが、その喜びはすぐに心の中で膨れ上がり、次第に現実の空気を感じることができなくなった。
麻美はそれから、ゲーム内のキャラクターに自分の感情を重ねるようになった。画面に表示されるそのキャラクターのセリフや動きに、自分の心が震える。現実の友人からのメッセージも無視し、家族の電話にも出ない。
「もう少し、これが終わるまで…」
麻美は、次々に繰り返すクエストやバトルに没頭した。毎日のように目が覚めると、まずゲームを起動していた。
それがどんどん習慣になり、日常の一部になっていった。
しかし、次第に麻美は現実の世界とゲームの世界が混ざり合う感覚を覚えた。
仕事のデスクに座りながら、頭の中でゲームの音楽が流れ、手が無意識にキーボードを叩いていた。電話が鳴れば、ゲーム内の通知音が響いた気がして耳を澄ませてしまう。
同僚が話しかけてきても、麻美は一瞬その人物がゲーム内のキャラクターに見えてしまうことがあった。画面の中でキャラクターたちが交わす言葉や表情が、現実の人々の言動と重なっていく。
麻美の部屋は次第に散らかり、ゲームのデータが保存されたPCが目を覚ますと同時に、暗い部屋の中で彼女はまたその世界に引き寄せられる。
食事はそのままゲームをしながら口に運び、眠るときも画面が目の前にあり、寝ることすら忘れてしまった。
「次のクエスト、早く終わらせなきゃ」
そう言っては、眠気を感じながらも目を凝らしてプレイを続ける。
そして、ある日麻美はふと目を覚ました。
「あれ?」
不意に視界がぼやける。寝るつもりがなかったはずなのに、部屋の中は深夜の静けさに包まれていた。
「もう朝だ……」
彼女は画面を見つめ、気づく。
ゲームのキャラクターたちが、次々に活動を始めている。その動きが、麻美の体を震わせた。
しかし、現実には時計の針が進んでいて、その時間が戻ることはなかった。
麻美はその瞬間、ゲーム内での勝利や成績が、自分の命の一部であるかのように思えてきた。どんどん画面の中に自分を閉じ込め、現実からどんどん遠ざかっていく。
彼女の体は部屋に座ったままで、意識はゲームの中に引き込まれていく。
そのまま、麻美はゲームの世界で生きることを選び、現実には二度と戻ることはなかった。