HSPには過酷「余計な事しやがって」|叱られる場面は運命の分かれ道
せっかく最大限の思考を働かせて、工夫して努力したにも関わらず、
「余計な事しやがって!」
とお叱りを頂く場面に遭遇したことはありませんか?
「余計」とは「計画された以外のモノ」「周知された以外のモノ」「理解した以外のモノ」
となりますが、「余計」の扱いと捉え方次第で選択肢が生まれてきます。
その瞬間は、運命の分かれ道。
自身の非とするか、チーム(組織)の非とするか、
どちらの「思考の部屋」で発想するのか次第で、最初に返す言葉が変わります。
そして、その組織でやって行けるのか行けないのか明暗がはっきりする瞬間でもあります。
そもそも、
「余計な事しやがって」
が第一声となる組織では、繊細気質のあなた(私も)は、長くを切り抜けるのは難しいかも知れません。
もしも、
「勿体ない! 努力は分かるが少し違う。」
と先ず気持ちを汲んで頂ける組織なら、誰でも気持ちを切り替えて前向きに取り組むことができるでしょう。
自身の非とする(至らないのは自分が原因と一歩引く)場合
A:「すみません。」
A:「不慣れなもので、分かりませんでした。」
B:「分からんのなら、聞けよ!」
B1:「もういい。俺がやる!」
B2:「これはね。こうして欲しかった。」
※B2なら再考の余地がありますが、B1なら組織に問題があって適所ではない可能性を疑えます。
チーム(組織)の非とする(事前の説明不足が原因と主張)場合
A:「えっ、何が余計ですか?」
A:「最初から言ってくださいよ!」
B:「使えんヤツやな!」
※この場面でほぼ終わります。組織の説明体制とこちら側の姿勢にも問題がありますが、繊細気質にとってはミスマッチの組織と考えた方が良いでしょう。
※徒弟制度の完全服従か、出る杭は打たれるか、何れにせよ繊細気質にとっては不向きだと分かります。
【HSPの方へ贈る言葉】
少しでも早く自分自身が繊細気質だと気付き受け入れて、しっかりと向き合うことが大切です。
HSPは治療対象となる病気ではなくキャラクターなのですから、卑下する必要は全くありません。
ただ、人との接触による失敗を重ねながらの気付きは苦しいものです。時間も徒労も人生の莫大な損失です。
適応障害で長期休職を経験する立場での申し送りです。
立ち止まってしまった時に、できれば立ち止まる前にこの気付きに辿り着けることを願います。
前向きに捉えれば、立ち止まる時間は自身と向き合える有難い時となりますが、世の中の動きから逸脱してしまうことは確かです。
その中で感じる葛藤を楽しめるようになるまでには、かなりの時間を要します。
可能な限り、この苦しみを感じる機会に遭遇することがないように、この記事が気付きの機会となれば幸いです。
追伸
立ち止まってしまったからには、どんな形であれ社会への復帰が目標となります。
ようやく「悲観の部屋」から「楽観の部屋」で物事を思考できるようになり始めました。
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※今日の悩みどころ(表現として判断に迷った事をメモし始めました)
・「悲観の部屋」で感じていた思いを「楽観の部屋」で表現すること。
※参考・引用
<イメージ写真>
Kazutripさんによるものです。
https://www.photo-ac.com
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