渋谷
白い壁に阻まれて、目当てのピザ屋に辿り着けない。渋谷という街を覆い続ける工事音。さて工事の手が入る前の渋谷はどんなであったかと考えてみる。私が高校生だった頃、予備校に足繁く通っていた時の渋谷。少し大人になって、プロの撮影に参加させてもらい、普段は入れない東急の屋上からスクランブル交差点を見下ろした渋谷。残念なことに埼玉県で育った私にとって、渋谷は殊の外遠い場所であり、思っていたよりも記憶のない場所だった。埼玉県民にとっての東京像は、埼京線に支配されている。赤羽、エトセトラ、池袋、新宿。赤羽などは東京とすら思ってない人も多いだろう。渋谷はやはり、ちょっと遠いのだ。恋人とハチ公前で待ち合わせ、なんてのも数えるほどしかしたことがない。
数少ない断片的な渋谷の思い出を掘り起こしてみても、工事されていない渋谷というのは思い浮かんでこない。いつでもアンダーグラウンド。そんな街、渋谷。街、と呼んできたけれど、そもそも東京の地名とか、よくわかっていない。渋谷は、駅名or区名or愛称…?実は渋谷という地名はなくて、人々が勝手に呼んでいる愛称説、いいな。渋谷区ってあった気がするけど。東京は網の目状に線路が張り巡っているせいでどこか地名が不明瞭になる印象がある。難しい。
とにかく私は工事されていない渋谷を知らない。そしてきっと、私と同年代のあなたも知らない。知っていたらごめん。大学から東京に出てきた私の恋人も、数年間渋谷という街を見てきて、工事されていない渋谷を知らないと言っていた。そう、我々は工事される前の渋谷を知らない。…渋谷は何になろうとしているのだろう。もともとの渋谷なんて、あったのだろうか。この街はもしかして、延々と、私たちの記憶に上がる前から工事され続けているのではないか。誰も本来の渋谷など知らず、引っ切り無しに工事され続ける運命に取り憑かれた街なのではないか…そんな妄想が頭をよぎる。
目的地のピザ屋を目指しながら、恋人にこんな話をした。渋谷って変な街だよね、と。そしたら彼女が、「え、なんか小説みたい、SF、かな?」と笑うものだから、ああ、小説家になって食っていきたかったな、という淡い夢みたいなものが浮かび上がった。とうに諦めた夢だった。表現したい欲望はずっとある。小説に限らず、ゲームやイラストや映画で何かを、私の外に投企しようとしていた。しかし私は絶望的に書ききることができなかった。一番楽しいのは、話の構想を練って、友人らと語らってどうやって素晴らしい作品に仕上げるか議論することだった。書くこと以上に読むことと、そこから考えることと、おしゃべりするのが好きで好きでたまらないのだ。つまり私は書きたい!と言いながら、手ではなく口を動かし続けてしまう人間だと、20歳そこらあたりで気がついたのである。
これで、私は落胆したとか失望したとか、そういうネガティブな感情を綴りたいわけではない。自分はこういう人間かもな、とある程度是認したという話だ。私は、私はなにかを作りたいけれど、私がメインで何かを作ることができるパーソナリティは持ち合わせていないと認めた。おかげで、職業クリエイターになろうという選択はせずに、就職活動をした。
四月中旬、第1志望の大手総合出版社に内定を頂いた。出版業界の未来がどうこう、という話は置いておいて、素直に嬉しかった。面接を何度もしていくうちに、この会社は縁がありそうだなという直感が湧いていて、最終面接後は結果通知の間まで、頭の中でジョジョの勝利確定BGMが流れているような気分だった。私は本当に運がいい。
来年から、私は本を作る仕事をする。それは私にとって相性の良い仕事のような気がしている。書けなかった私が、書ける誰かと一緒に、……と書くと、ちょっと心配になるな。採る人間違えてませんか?御社。さすがに失礼か。
渋谷の一件で、恋人に、書いて、もとい、何かを作り上げて、伝えることで、好きな人が楽しくなってくれるのは、私にとってなによりも嬉しいことなのだと思い出させてもらった。
蓄積してきたこと、表現しようとしてきたこと、それを経て今に至っている。私にとっての就活は、清算だったのだと思う。一種の答えのようなものが出たのだろう。そのことに安心と満足感がある。…もちろん、その逆も。就職するまでの数ヶ月は、今まで手を出したことのないインプットもやっていこうと思っている。より、好きな人や、それ以外の人を、楽しくさせる手伝いをできるようになるためにね。
【追記】書けない、とはいっても今年の夏コミはサークルが受かってしまったのでコピ本ですが百合小説を出します。受かってしまったので、否が応でもです。
あと、助監督として携わった映画がPFF(ぴあフィルムフェスティバル)で入選しました。9月に再度上映されるみたいです。宣伝みたいになっちゃった。
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