5月に思い出すのは、生まれることができなかった君のこと

5月が終わった。
ほっとするような、泣きたくなるような、よくわからない不思議な気持ちに5月はたびたびなる。

それを人は「五月病」と呼ぶのかもしれないけど、私は君を思い出すからだと思うんだ。



姿形を見たことも、会ったこともないのに、いつだって目蓋の裏側で、君を思う。
でも。
5月は特別にたくさん思い出す。
生まれることができなかった、私の第一子ちびちーの前の子。1月が出産予定日で、むつきって心の中で何度も呼んだ、君のこと。


・・・


数年前の母の日。私は妊婦になった。
妊娠検査薬の薄いけど陽性の印に、旦那さんと抱き合って喜んだ。幸せだった。見える世界が音を立てて変わって、子連れ家族を見てはまた幸せになって。この喜びを、両親・職場・友人にいつ、どのように伝えようか、そんなことばかり考えていた。


たしかに、君は私の中にいた。


その2週間後の月曜日、私は股から今までの生理の比ではないほど多く出血をして、そうして君はいなくなった。




君はたしかに私の中にいた。
でも。
お医者さんが胎嚢も赤ちゃんの姿も心拍も、何も確認できないまま流れて消えてしまったから、「流産」にもならないと言われた。

それから約半年後に第一子ちびちーの妊娠が分かって。不妊治療から妊婦健診に移行するとき、病院の書類には流産経験の有無を書く欄があった。有、に印をつけようとして、手が止まった。君は医学的判断では流産でないんだ。震えるペンで、無、にチェックをしたとき、私はまた君を失ったような感覚になった。とてもとても悲しかった。




流産経験を話す人はなかなかいない。
少なくとも、私は自分の流産経験をnoteで綴る前は出会うことがなかった。孤独な悲劇のヒロインだった。




だから、こうしてネット上で流産経験を見かけると、心臓のあたりがぎゅううとなる。たまらなくなる。居ても立ってもいられない、ような。

今回も、正常妊娠であるのか否か、それがわかってからも心拍がわかるまでは、それがわかっても安定期に入るまでは、安定期に入ってからも、まだ、まだ……と、いつまでも確信を持つのをどこか怖がるかのように、確定事項として捉え切ることを、二人とも自分たちを守るために避けていた、ような気もしている。

本文の文章が、あまりにもわかりすぎて。第一子妊娠中の自分と重ねてしまう。

両親・職場・友人には「赤ちゃんが生まれることに確信を持っている自分」でいて、本当の本当は第一子も第二子もちゃんと生まれてこられるのか、最後の最後まで不安だったことを。



伊佐さんの、妊娠中の日々の幸せに目を向けていく姿がまぶしい。まるで、夏の日差しみたいだ。

赤ちゃんがどうかどうか、無事に生まれますように。



伊佐さんの数年前の赤ちゃん、私の数年前の赤ちゃん、きっとお空のどこかで新たに生まれてくる命を応援している。そんな気がして。
ウェブという海の中のnoteの片隅で私も応援しています。




明日もいい1日になりますように。






いただいたサポートは、1000円をこえたら家族でおやつパーティーを開かせていただきます。その様子をまたnoteにupしますね^^いつも読んでくださり、どうもありがとうございます!