なんちゃって吟行日記
短歌で遊んでいるからには吟行もしくはそれに近いことをしてみたい。という思い付きを、ゆるっとふらっと実行してみた記録です。
そもそも吟行とは
わたしがしたいと思った吟行とは短歌の題材を探して出かけることですが、念のため実行の前に定義を確認しておきます。
実際のやり方としては、例えば複数人で集まり、一旦解散してめいめい作歌した後に歌会を行うまでがセット、ということも多いようです。
今回やりたかったのは
・ひとりで
・肩の力を抜いて
・思い付きのままに遊んでみること
だったので、自分でざっくりルールを決めてみることにしました。ということで「なんちゃって吟行」と題しています。
特別な場所でなくても良いのでどこかへおでかけするついでに、そこで見聞きしたものを題材に短歌を詠んでみよう、という出発点です。この方針でざっくり予定を立てました。
ざっくり予定を立てる
行程
・午前10時ごろ出発
・バスに乗る
・歩いたことがない町を歩く
・喫茶店に寄る
・植物園に寄る
・電車に乗る
・午後15時ごろ終了(※スマホの電波の関係で投稿したのは16時ごろ)
この日は午後遅くに予定があり、少し離れた目的地に移動しつつ寄り道をするという形でした。
ルールと目標
着想を得た場で詠むことを重視(持ち帰ってじっくり練るのは別でやる)
詠めたものからタイッツーに投稿(詠んだペースを可視化したい)
6~10首くらいは詠みたい
使ったことがない単語を積極的に使いたい
成果
実際に詠んだ歌の一覧
十二時に解ける魔法の本質として口紅を(落ちるけど)塗る
だしぬけに確かめてみる行きずりに喃語を拾う耳の形を
だれもかも自分の影を踏みしめている雨の日のにぶい靴音
バス停に濡れる自転車ひとつあり待ち人よりも仲間が欲しい
火傷でもおそれるような湿度80パーセント用の距離感
通り雨ほどの間に行き来して湯水のように使う愛憎
靴音をひそめることはないと言いシャッター街に香るくちなし
ブラウスの袖をかすかにふるわせて空調のつつましい挨拶
この席に座ってほしい人がいる水槽を眺める喫茶店
初めから祖父だったような人にある過去を示唆する指の傷跡
プルメリア 口に慣れない異国語を繰り返し繰り返し言う懐かしさ
うっそうとしても計画内の温室で静かに枯れていく花
飲みこめなかった言葉がゼラチンの作用で顔をかためてしまう
意味もなく返信前に待つ五分間がもっとも純粋な恋
船を漕ぐ子の櫂として握られたポップコーン・バケットの紐
傘立ての傘がなくても傘立てで母でも娘でもないあなた
150gを誤差と言いのけて鞄から出ることのない本
当初のルールと目標に対しての結果
着想を得た場で詠むことを重視:達成
詠めたものからタイッツーに投稿:概ね達成。詠めた後すぐに投稿するのを忘れてしまいいつ詠めたのかわからないものもある
6~10首くらいは詠みたい:達成どころか17首詠めた
使ったことがない単語を積極的に使いたい:達成度半分くらい。使ったことがない単語も少し使ったが使い古した語もたくさん使った
メモと感想など
この日は午前中雨が降っていたので雨に関連する歌があります。
〈十二時に解ける魔法の本質として口紅を(落ちるけど)塗る〉は出かける前の歌なのですが、せっかくなのでこれも含めて一連の作品としました。
自分の作歌は文字としての見た目は気にしても声に出す・耳で聞く音としてリズムを気にしない傾向にある気がしているので、せっかく短歌を詠む日と決めたなら良い機会かと思って意識してみることにしました。
その例として〈プルメリア 口に慣れない異国語を繰り返し繰り返し言う懐かしさ〉の字余りについて。初めに考えていた「なんどもくりか/えすなつかしさ」よりも「くりかえしくりかえし/いうなつかしさ」の方が自然に心地好く読める音だと思ったので採用しました。私は三十一文字に収めるために不自然な句またがりもよくしてしまうのですが、いっそ字余りの方がリズムがいいこともあるかもしれないと思ったのがこの歌です。「なんどもくちに/するなつかしさ」だときれいに七七ですが、少しうるさいくらいに繰り返している感じがより伝わるのは字余りのほうだと思います。
また〈船を漕ぐ子の櫂として握られたポップコーン・バケットの紐〉では「・」を1音に数えていますが、句読点や空白を1音とすることも珍しくないので丁度よく読めるのではないかと思います。
それよりもこの歌では「ポップコーン・バケット」が何を意味するのかちゃんと伝わるのかに疑問が残ってしまいました。あの有名なテーマパークのポップコーンを入れる可愛い容器の紐を握りしめているということは、きっと遊び疲れてよい夢を見ているのだろう、という発想でした。実際に私が遭遇したのはテーマパーク帰りの子ではなくて日頃から愛用しているらしいグッズを握りしめた子ですが。
全体として、思ったことを言葉にしたら長々としてしまって、言いたいことを半分にしたり、うまくまとめられずに伝わりにくい短歌になったりが多かったです。短歌にするのはほんの少しのほんの一瞬のことでいいのかもしれない、と思いつつそれを見つけるのも言語化するのもまだまだ難しいことばかりのようで、思い付いたけれど短歌の形にはならなかったこともたくさんありました。
それでも歌の数が目標よりも大幅に増えたことについては、自分で思っているよりも(目を向けさえすれば)短歌の題材になるものがたくさんあったようでうれしい発見でした。単にまだ作歌歴の短い/数の少ない私には短歌にしていないことがたくさんある、というのは勿論あるのですが、それに気付けたことは収穫だと思います。
あるものを見てまったく別の言葉を思い付いたり、関係のない思い出や風景が浮かんだりもして、意外と自分で普段は認識していない部分の視野があるのだと思いました。
例えば〈初めから祖父だったような人にある過去を示唆する指の傷跡〉は植物園に向かう途中の風景に、なぜかふと祖父に対する気持ちが思い出されてきたところから着想しています。無意識に目に入れた何かを懐かしく思ったのかもしれません。
使ったことがない単語を積極的に使うことについても、想像するものと実際に目に入るものとでは思いつくものの範囲も一つの事柄についての情報量も違うので、その意味でもやはり煮詰まったら机の前に座っているよりも色々なものを目、耳に入れる方がよさそうだと、当たり前かもしれませんが再確認しました。
とても楽しく過ごせたのでまたルールを見直しつつ不定期にやっていきたいと思います。今回は目的地もあり半日たっぷり使いましたが、ちょっとした散歩でも十分面白そうです。
おわりに
まとまらない内容にはなりますが、以上のような試みでした。
冒頭に記した通り、ひとりで・肩の力を抜いて・思い付きのままに遊んでみることをしたかったのですが、それをその通りに達成しつつも思った以上にどっぷり短歌に漬かる日となりました。こういう楽しみ方もいいものだなあと思っていただければ幸いです。
お読みいただきありがとうございました。
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