共同幻想と事実
例えば、
組織票という概念
国や自治体のHPにいけば
法に基づいた報告書や届出なんかが誰でも見れる
政治に関する団体の収支とか単純な金の流れとか住所とか代表者とか
そんでもって、それらが一定の存在感とか
それなりの大きなお金の流れとか
関係者の多さとかを垣間見ることができる
こういうもので垣間見えるような
政治家や政党を支える存在をニュースなどで組織票といっている
ここまでの話でさえ、一度も自分の目で
角煮んしてない人が9割以上だと思うけども
おとなになるにつれて皆、
新聞やニュースでよく聞くなぁ
そういうものがあるんだなぁ
「現職が勝つんじゃないか?」(みたいなの前誰かが言ってたよな)
「ほら、組織票だよ」
(これくらい知ってないと恥ずかしいよな・・)
こうして、事実確認しないまま、
そして確認しようとしたところで、
誰も確定的な検証をできないまま
そういうものがあるんだ!と、
いつしか
概念的・理論的な存在
断片的な事実の検証
この空虚な概念は
その流通度合いに伴い、
本来検証すべき手順を置き去りに
よく使われる言葉 となり、
共同幻想 となり、
ついに
事実 として扱われるまで進行していく。
卑近でわかりやすい例を追加であげれば
集団免疫
クラスター感染
など
そんな言葉がいつから使われ始めたのか?
まともな医者や研究者に聞いてみたらいい。
お金の歴史も似たようなもの
選挙もしかり
5歳児「ねぇねえ なんで.. こっちは そしきひょー しないの??」
生々しい話になると
どうでもいいところまで細かい事実の確認に気を遣わんといけないから
面倒くさくて嫌になる。
だからまともな人生上手くいってる人は政治の話はしない。
損しかしないから。そしてそれも利用される。
事実確認は大事だが、確認しなければならない事実が多すぎるのは
環境側の問題だ。
義務教育の膨大なカリキュラムもしかり
医師不足もしかり
数えきれない法律が庶民を遠ざけ目くらましになっていることもしかりだ。
結果が組織票によるものか
そんなことは極論どっちでもいい
検証する方法が技術的に可能にも関わらず実装しないこと自体論外で、
組織票に対する納得感、結果と大勢の体感が長年乖離していることも、だ。
ドッキリ番組でさ
こんくらいやればバレるでしょ
てくらいやってもあまりに鈍くさくて
最後まで気づかない人
ほら早くテッテレーさせーや!おらっ
いまそんな状況です