命のパラダイムシフト
君たちは知っているだろうか?
こんな言葉を、8割以上の人間が当たり前のように発していた現実を。
「昔は30代で死んでたもんだ」「50代になったら後少しだから」
「60まで生きたんだから後は~~」「犬猫なんて5年で死ぬもんだ」
「命はそういうもんだから」「変えられない現実って~~」
「自然体で生きてしぬのが一番」「遺伝子がうんたらかんたら」
あのさぁ・・・。
毎度のことだけど、嘘八百はやめてくれるか?
科学だか、常識だか、それとも単なる洗脳か、あるいは怠惰な思考の癖か
どれでもいいし、どれも消えてほしいんだけども、嘘はやめてくれるか?
何が自然体だよ。おめえらの生き様に帳尻合わせた不自然体じゃねえか。
犬猫がちゃんと大事にされて生きたら15年生きるって、誰が想像した?
なんか今それが当たり前になってきて、もう忘れかけてるけど、
二十数年くらい前?の人間ども全員に聞きたい。
15年どころか、10年生きさせずに死んでた、いや殺してた連中さぁ。
胸に手を当てて、もう一度言えるか?「犬猫なんて5年で死ぬもんだ」って
客観的に悟ったふりをして、命の可能性を閉ざす側に回り、
その実は己の怠惰と諦念で溢れたどうしようもない命で八つ当たりをしていたのだ。=怨念と復讐である。
ネガティブな影響を与えていたのは、そいつら自身に他ならない。
人間についても全く同じだ。
今、平均寿命は男84、女90とかになっていて、
伸びは徐々に減っているし、もうそろそろ止まるとでも思っているだろう。
予言をしておくが、パラダイムシフトが起き、
寿命はまず120年ほどになる。
寿命のキーとなるのは、何度か言っているが「ホルモン」だ。
性ホルモンと成長ホルモン、それから脳下垂体をメインとした、それらの前駆体、指令物質、そいつらが中心となる。
具体的にすぐできる方策としては、思春期を遅らせるということ。
解決のしようがないどうしようもない不毛なストレスを掛けない
ことが重要である。
これまでの腐りきった社会では、解決のできない問題を悟って諦め、
心の暗渠に押し込め、大人のふりをし、なんとか帳尻を合わせることが、
一人前の人間だとして、調教されてきた。
その代償として、人間はより醜く、不健康な成長を余儀なくされ、
自分自身の真の可能性を閉ざされ、せめぎ合いがそれを増長し、
その怨念がまた、他人を不必要に傷つけるサイクルで回ってきた。
人がまっすぐに成長し、自分の可能性を発揮できたとき、
そうした怨念の総量は劇的に減る。
その第一歩、肉体が健全かつ美しく成長するための、
二度と戻らない大事な期間の重要性を知りなさい。
寿命については思春期の影響が大きいが、
思春期以前の成長も、ゆっくりと成長すればするほど、
最終的な伸びはよくなる。健康も寿命も美しさもだ。
過度が成長やバランスを欠いた成長は、必ず、本人、環境、家庭、それからやっと遺伝子 に何らかの癖があると考えること。
そこから何かを見つけ、次世代に変なものを渡さぬようにする糧にする。
それが真の成長であり、生命を知るということだ。
自分に似ているなどと、まあそれはかわいいものだけど、
自分より劣っているだの、自分と比べて下だのと、心の奥でほくそ笑み評価する視線を子供に送っている親共がまだ相当数いるが、
死ぬ前に気づけることを祈るしかない。
同時期の子供と比べて成長がうんたらとかで焦っている親は、
それよりもはるかに大事な、子供の人生の道のりをきちんとイメージしたのだろうか?
今日明日、友達や誰かに何か言われたり、問題が発覚したり、面倒が増えることばかりを心配していないか?
それは子供の心配ではなくお前の心配だ。
その二つを区別して臨むことだ。
このことが、社会的に普通になったとき、寿命は120年まで伸びるだろう。
そして、ただ管につながれて歩けないまま生きるのではなく、
健康年齢・見た目年齢、 つまり生物学的年齢が、
1.5倍に伸びることだろう。もはやそれは始まっている。
1950年の20歳がこれからの30歳となり、当時の40歳がこれからの60歳となる。
ただし、物学的年齢は、寿命よりも後から伸びるし条件は難しい。
当面は年齢×5/6とか、4/5くらいが目標になっていくだろう。
60歳なら昔の50歳、50歳なら昔の40歳とか。40歳なら32歳とかね。
青年期や物学的年齢を伸ばすには、もっともっと、命のことを知り実践する必要がある。
あと、閉経に関しては、なかなか伸びにくいのではないかとも予想される。この部分は最後になるだろうね。