現代社会における、都合の良い思い込み・常識・基準 10選

×人は見た目によらない

〇人は見た目どおりだが、雰囲気、動き、声、なども総合的に含む。その前にまず、見た目の見方自体が分かっていない。自分の都合や不都合や欲があると、そこを脅かさないように相手を見るから、見えなくなるだけのこと。結局のところ、人の見た目の見方を分かってしまうと、毎日鏡に映る自分自身に耐えられないため自分の身体から自分の意識を守っているのである。

×仕事は在職期間が長いほど優秀

〇3年以上はほぼ惰性である。真に優秀ならばどんな仕事、どんな必要性があっても3年以上はいらない。それ以上いるのは、居心地・立場・金・権力への安住なのである。


×結婚は当然であり立派で信用がありステータスである

〇結婚は当然ではなく凡庸でなんの信用にもならず、むしろ機械的人間であることの証明になっている。運命によって結婚する人はごく少数である。「永遠に結ばれる」イデアをことごとく俗に解釈し、形を整えれば幸せになれる、相手を縛れば自分のものになる、幸せが「確保」できる等と考える愚かな者達と、政治的、統治的な都合によって制度はいまだに運営され続け、それを疑わず前提にして人生を生きる者たちが、今日も駆け引き的恋愛を主に滑稽なトラブルを起こし続けている。


×性の乱れは規制すべきである

〇まともな生き方をしていると、性は自由にしても乱れない。

まず知っておくといいのは、法廷では結婚を前提にしない性交渉は全て「悪」性だという前提で扱われる。これは、どの条文にも書いていないし、裁判官もそれを著書などで明らかにしないし、それに至る考え方さえ公表しないが、まぎれもない事実である。そんなものが法として通るわけがないw法運用にはおかしいことがたくさんあるが、これもその一つだ。ジャーナリスト共や評論家共、学者どもが全員触れないタブーである。

法に全く書いていない=国民の同意を国会でとっていないことが、平然と法廷の原理となってずっと続いているのである。多くの性に関する裁判は、「隠れされた」この前提から議論がスタートしている。「正当な法」なんかでは動いていない。どうしてそういうことが起こるかというと、結局国民が「歪んだ性+性の抑圧+結婚信仰+風俗や不倫のコソコソしたはけ口+著名人スキャンダル」などでバランスを何とかとっているから。実にしょうもない構造が、その法廷の歪みを結果的に承認・利用しているからである。

そして、実に情けないことに裁判官などは最も性が抑圧された人種であり、そもそも他人が性を楽しむこと自体が面白くないのだww彼らはその取り繕った仮面の下に醜い抑圧を抱えているのである。

裁判官S君((おおお俺が、、、ままままじめに、っこここーやって勉強して!国民のために仕事っしてんのに!ちゃんと結婚してっ。妻ひとりを大事に、、クッ、(妻に男として見下された上手くいかない結婚生活と、最近どはまりしたJK風俗遊びとを瞬時に抑圧しw)こいつらときたら不純異性交遊ばかり、、だからこんなトラブルになるんだよ。クク、、法の裁きを与えてやるから思い知るといい。真人間のこの裁判官様の俺が代表して、な。)))「判決!(厳粛な法廷に響き渡る俺の声きもっちェえ~~)被告は~~うんぬんかんぬん~~で決して許されるものではない。(ドヤ)」    wwww

日本だけじゃなく各国は国民の性をこのようにコントロールしているのである。だが、それはそもそも人が醜く生き方が醜いから性も醜くなっているのである。人が駆け引きをし生き方が駆け引きだから、性も駆け引きになっているのである。人が依存し、生き方が依存するから、性にも依存しているのだ。 それを分からず抑圧しても、世はもっと汚い方法でそれをすり抜けるだけである。 書いてて吐き気がする。

まず根っこから見直しなさい。


×中肉中背や、平均体型は最も健康な状態である。

〇大間違い。厚生労働省などが出している基準での平均は、健康の水準としては役に立たず、たいていの「中肉中背や、平均体型」は、脂肪がつきすぎである。ある程度トレーニングやダイエットやもしくは重病をしたことがあると気づくが、人間は筋肉が思ったよりなく、「普通体型」くらいだと脂肪を取るとガリガリなのである。つまり、彼らは服を着ていると筋肉と脂肪の区別がつきにくいことでごまかせているが、筋肉が足りず脂肪がつきすぎになっている。つまり隠れガリ+隠れデブであり醜くおまけに健康ではない。当たり前だろう、不健全な精神と不健全な食習慣なのだから。

政府がそう言った基準にするのは、何も健康や美しさの基準から言っているのではない。医療費の予算から逆算してパンクしない基準を作っている、同時に庶民に劣等感を抱かせない、食品会社の圧力等から否定できないものがあるという、不純な側面から運営されていると知っておこう。


残り5つか~だるっ 疲れた休憩

つづき

×1日3食は健康の元 食べ物は栄養でありエネルギーであり食べれば基本的に元気になる 朝食は1日の元気が~~うんぬんかんぬんw

〇それはデブ&ブス&時間の無駄&金の無駄&資源の無駄&不健康の元。食べ物はマイナス栄養にもなり、元気を削ることも普通にある。

1日1~2食で十分。というか、健常な場合、そっちのほうがパフォーマンス自体が上がる。試しにまずは週に1回くらい、2食からやってみたらいい。 栄養学さえ怪しいというところがまた嘆かわしい。


×時間を守ることは人間として大事なことである

〇時間を守る必然性がある場合のみ重視すべきであるが、基本的には罪である。

時間を守らせようとするのは常に立場が強い人間の都合であり(契約や約束を含む)、原理的には、気分や感情や直感を抑え込もうとする働きである。そこには集団を束ねたり人を雇う者のだったり、人を操作しようという意図を持った者の存在が必ずある。好きで時間どおりに行った場合、それが楽しみだったのだから、「時間を守った」とか「守ろう」という感覚などそもそも発生せず「時間まだかな~楽しみだな~」なのである。

分かるかな?そもそも日本人のほとんどの人、特に昭和生まれは楽しいことがほぼないから、日常のほとんどがやらされ感で生きていて、その感覚すら前提にない場合も多い。だから平然と、「楽しいことばかりでは~~うんぬんかんぬん」などと、否定してかかる。それは彼の人生が惨めで楽しみを知らないゆえ、彼にとってそんなことはあってはならないからである。

よく「外国人は時間に遅れる、不思議だねー 文化の違いだからね」などと矮小化して片づけ「日本人にのみ」目くじらを立てるのはとても滑稽な話である。彼らは各自の感性を時間を守るより優先しているだけのことだ。つまり本来の(よく生きるという)意味で時間を大事にしているのである。

日本人はこんな当たり前の感覚すら、受け入れられないほど毒されてしまっている。おそらくこの記事を読んでもここだけ飛ばしてしまう読者が多いことだろう。自分の感性を守りたければ、時間を守るだけの理由があるのかを常に確認するべきだ。

結局行き着く先は決まっている。人はいかなる理由があれど、自分を含め人を駒として思い通りに動かすことはできない。ましてやいつどこで何をすべきかを決めて、毎日当然に動かせることが、普通のことなどというのが土台無理な話なのだ。

人と人が何かをするというのは、各自が自主的に動きたくなるほどの奇跡的な何かが必要なのである。それができぬ者は人を束ねる資格がない。

×快適な温度湿度で、柔らかい高級ベッドが睡眠の質を上げる。

〇寒くて固い床に直で寝たり、ロッキングチェアやソファーでうたた寝したほうが睡眠の質が高いこともある。

人体とは不思議なもので、どんなに高級なものだろうが、どんなに素材が良かろうが、固くて寒い床にリュックを枕に寝たほうが疲れが取れる日もあるのだ。かといってその次の日もそうとは限らない。

人体の疲れは1種類だけではなく、よって同じ睡眠方法でとれるとも限らない。今日の自分の身体に何が必要か?は自分の感覚のみが知っている。あまりに複雑でおそらく科学は当面追いつかないだろう。

真に休息の質をあげたければ、道具より時間より温度より湿度より音より、自分の感覚を自由にしてそのとおりに振舞うことだ。今日必要なものは、固い床かもしれないし、寒い温度かもしれない。あるいは隣で眠る犬の温度だったり、足先だけ出すことかもしれない。ひんやり素材の冷たい部分を触り続けることかもしれないし、ヘミシンク音楽かもしれない。あるいは、逆立ちかもしれないし、足を高くして寝ることかもしれない。寝ようとしないことかもしれない。  

どれが必要かは本当に分からないと知っておきなさい。




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