自然と感覚の話
雀鬼のハナシをしたし、章ちゃんも好きなテーマで話しますか。
俺は山菜とりとかキノコとりとか渓流釣りを昔からよくする。
そのときに痛感するのは、山菜とか小さめのキノコとか(特に葉っぱを被ったやつ。シモフリシメジとかな)って、人間が普段の生活でしてる目の使い方だと、見落とすことが多いなーってこと。
俺も調子が悪い日とか、自然に対して適当な態度の日はすげえ見落とす。
一緒にいくことの多い、うちの父は、ほぼ見落とさないんだよ。
うちの父の自然に対する観察力は雀鬼並みである。おそらく海なら雀鬼、陸なら俺の父が上だろう。
その様子をじっくり見てると、必ずしもキノコ本体を見てないのに見つけるってときも多い。土とか葉っぱの微妙な盛り上がりとか、なんらかの違和感をみているのだよ。
渓流釣りでも、父は「流れ」を読んで餌だのルアーだのを投げ入れ、見事に釣ってみせる。どんな悪条件でもほとんどの場合なんとか釣ってみせる。
俺もなかなかうまいほうだとは思うが、父の「流れ」の感覚だけはいまだにつかめない。惜しいと言われることは多くなったが、それでも父の感覚とは10cmほどズレているらしい。その10cmのズレで釣果が倍くらい違うこともあるのだからいつも驚きと不思議なもんだなあという感じ。
海に行っても、その場にいる10人全員が全く連れて無くても、最後に行った父があっさり1匹目を釣ってるところを何度もみた。海の場合は、潮よみと、鳥の様子?と餌の選択と、海底の地形の記憶によるところが多いようだ。
昔は父がこんなにすごいのは、土地勘があるから、とか生える場所を知ってるから、だと思ってたが、初めて行ったあのバカでかい北海道でも、1か月しないうちに、すぐに釣れる場所やキノコやタケノコ生える場所を察知して、地元以上に収穫していた。
こういうのをずっと見てくると、「感覚の世界」が本当にあるのだと確信する以外になくなる。
俺が父に勝てないことはほとんどないが、父の自然に対する愛とか親しみとか、それ以上の感覚はまさに本物中の本物であって、そういう超能力こそ、本人は自覚していないという点も面白い。
父が昔自慢していたことはほとんど大したことがないものばっかだったがw唯一なぜか自慢せずにコツコツ好きそうに続けていた自然に対する感覚だけは本物であった。俺が度々すごいと言っても、父は他のことをほめるとわかりやすくすぐに得意になるくせに、不思議と自然に関することだけは本心から不思議そうな顔をして謙遜するのである。
そのときの様子は羽生善治さんの謙遜の仕方にもとっても似ている。
あ、そいえばうちの父、章ちゃんと羽生さん足したような感じだな。
それと吉幾三も足した感じw