真の性教育

セックスをすればどんな避妊法でも子供ができることがある

まず子供ができて困ったり迷ったりするような相手とするな

そもそも、そういう相手と状況では大して気持ちよくもなれない

それでもしたくなるときは、男も女も自己肯定感のためだと知っておこう。

経験人数が多い人がうらやましく見えるかもしれないが、それは誤解で、経験人数が多いほど大体感性が鈍く行為の質が低い。

一旦質が下がると上げるのは難しい。 感覚は誰も教えてくれない。感覚がいい人は感覚の鈍い人とわざわざしたいと思わないから。 貧乏人のまわりが貧乏な人で埋め尽くされてますます貧乏になるのと同じ。

鈍った感性で選んだ相手、それから妊娠はしょうもない結末を招く。

妊娠に恐れをいだきすぎると思うなら、四の五の言わずにピルを飲め。現代はほぼそれしか物理的に方法はないから。

ただし、その「どうなってしまうんだろう」というような本源的な恐れの感覚は無くしてしまおうとしないで大事にしたほうがいいよ。

コンドームは確率的には気休め。業者が売るための宣伝で広まったもの。古くなるとすぐ破れるし確実性は低い。

性病防止のため、も嘘である。そもそも、性病は口喉にも同じように移るのだから、本当にきちんと防ぎたいならキス、クンに、フェラ等もしてはならない。舌にもコンドームを付けますか? それを知ったときにやりたいと思う方います?

社会でなぜかその説明が甘いのは、それを説明すると「めんど、いみねーじゃん、ならええわ」と売れなくなるからだ。

学校の先生や立場がある人は立場を守るためなんとなく空気に合わせているだけ。

性病の感染率は、菌の保有と生体でのアクティブ率のほか、粘膜の状態による。

性感染症を減らしたければ、いい加減な相手といい加減にしないことという当たり前のことが一番効果的である。

そのセックスが良かったどうかは、終わった後に感覚が研ぎ澄まされたりさわやかになったかどうかでわかる。分かりやすいのはご飯がいつもよりおいしかったり、夕日がいつもより綺麗だったり、いつもの景色が変わったように感じるかどうか。歌の歌詞でよく出てくるでしょ?

それからからだが内側から柔らかくなったかどうかと呼吸がしやすくなったかどうか。声が出やすく響きやすくなったかどうか。

そうじゃなければ離れなさい。付き合うとか付き合わない以前のそれより重要な問題がそこにある。長くいることが大事ですぐ離れるのはダメというのは、ブラック企業でも一度入ったらやめてはいけないことと本質的に同じである。

もし迷ったり困ったりするような相手とかかわったり、妊娠したりさせたりしたらその体験を真剣に受け入れ、そこに自分のこじれた運命のヒントがあると思いなさい。少なくともその状態は真人間ではない。

ちゃんとそういう風に生きていれば、自然とそんなにたくさんセックスしようとは思わなくなるから、そもそも我慢するという概念が必要なくなる。

回数が増えることは逆に快楽を減らして、感覚を鈍らせ、飽きさせ、相手のせいにしがちになり、人を堕落させる。

そんなにたくさんのパターンはないのだから、上手いだのテクニックだのはたかがしれている。それよりも相手と自分を感じ取れることが大事。感じ取れさえすれば全部の瞬間が快楽になる。

付き合ったとか、結婚とかの形式から入ろうとすると、人は同じように堕落する。あくまで結果的にそうなった場合にそうするのがいい。というか自然となるから。

社会的にそれを監視するようになったのは、感性が鈍った人間が多く、自分の存在と相手との関係、行為、相手の気持ちにいたるまであらゆることに本質的に自信をもてなくなったから。

形式で縛らないと、相手の感性のままにさせると、自分を否定される体験をたくさん味わうことになるから。それを和らげるためのごまかしである。誰かと深く関係を持てないから極端に一夜限りや売売春に頼るのも形式が違うだけで、逃げていることについては本質的に同じである。

あらゆる逃げは形式と保証を求めると覚えておくといい。

男は買うと、女は売ると、そのために駆け引き計算をすると、本当に気持ちよくなれないと知っておきなさい。

売るとか買うというのはお金でなくても、立場とか仕事とか、長くいるとか、くだらないおしゃべりを聞いてもらうとか、性によって対価を得たり、対価を払って性を得ようとする気持ちそのもののことだ。

性を売ったり買ったり駆け引きに利用する最高の罰は、社会的な評判でもなければ罪悪感でもなく、人間としての感覚が穢されることだ。満たされることができなくなってしまう。性は性でしか満たされず純度も保てない。

数より質。形式より感覚。相手にしてもらおうとするより自分の感覚を取り戻すこと。



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