![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/116360668/rectangle_large_type_2_487a8fa76a677594110766a80cd5e3a7.png?width=1200)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
このブログは、
"200~500kmを走るジャーニーラン"というクレイジーなレースにおいて、
その最高峰を目指すとある男の実録である。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
■ 人の痛みは、殴られないとわからない、ように、
人を殴ってみないと、殴ったときの手の痛さもわかりません。
法律的な解釈や、ガンジー主義的に、
この殴る/殴られるいうと考えると、
もちろん、殴られるほうがいいわけですが、
「体験すること」を基準に考えると、
良し悪しにどちらも大差がないように感じます。
■ 私たちは、
頻繁に殴り/殴られる経験があるボクサーのような人を除き、
殴ることも殴られることも儘あることではありません。
殴る、もしくは殴られることによって、
「これまでにない経験ができる」のです。
やったことなかったことが一つ経験できて、
【殴られる人の痛みがわかる人】
もしくは、
【殴ると言う行為の手の痛さ、や、怒りや理不尽さがわかる人】
(ここまで言うと、殴る人を擁護しすぎかw)
大きく捉えると、
人生の幅を広げてくれる経験ができるわけです。
これって、とても幸福なことではないでしょうか?
■ 例を変えますと、
例えば、今、会社員の方がいたとして、
その方が、今とは違う職種を1日体験するとします。
すると、
今まで経験したことがなかった視点や考え方を体験できます。
物事への感じ方も変わり、視野も広がります。
はたまた、ご自身の可能性も見出すことができ、
「会社員だけが全てじゃない」と感じるかもしれません。
また、元の会社員の仕事をしたときも、
物の見方も変わり、仕事への向き合い方が変わることもあります。
それだけにとどまらず、
日常的に見聞きすることへの捉え方や見え方にも変化が起き、
パラダイムの変換が起きることもあるでしょう。
これって、めちゃくちゃ素晴らしいことではないでしょうか。
■ こういうことを踏まえると、
単に痛いだけの殴る/殴られる経験も、
あながち悪い側面だけではなく、
自分の人生経験やパラダイムシフトさえも起こしてくれる経験と捉えることができます。
僕自身、最近、とある業種に携わることがあり、
上記のような自分の変化に気づきました。
こういった経験は、やる前はわからないことだけど、
やってみるととても貴重な経験だと感じます。
■ それと同時に、
「一番よくないのは現状維持に留まること」
なのだと感じます。
人間、誰しも生活リズムと言うのがあって、
そのリズムに乗っているほうが楽です。
だから、いつものこといつものようにこなすだけ、の毎日になりがちです。
「その生活が楽しい・充実しているので、
この生活を全く変えるつもりは毛頭ない!」
と言う人はその人の自由ですが、
それはそれで人生もったいな、とも思います。
■ 直近のイベントはこちら↓↓
■ ジャーニーランの応援ページはこちら↓
今日もお読みいただき、ありがとうございました!