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ブログを書くことも、結局のところ、書くことが目的ではなく、
他の何か、があるはずです。
それは個人個人違うと思うので、ご自身で考えていただければとおもいますが、僕の場合は、はっきり言ってしまうと、
「ファン作りの一環」として書いています。
(あまりはっきりと種明かしをするのもどうかと思いますが笑)

「まだまだダメダメな自分ですが、
 これから成長していきますので、
 楽しみにしていてくださいね!」という、
成長奇譚として、お読みいただければ、と思っています。



ここで大事なのは「等身大で映すこと」
変に誇張したり、膨張させたりして表現しないことだと思います。
これは、今取り組んでいる動画事業でも同じで、"ありのままの赤山雄治"を伝えるようにしています。

余談ですが、この動画事業はドキュメンタリー番組レベル(!)で取り組む予定ですので、水面下でいろんな課題やハードルをクリアできるか技術面で検討中です。早く具体的な話を公表したいのですが、、、

それはさておき。


このブログでも「できるだけリアルな赤山雄治が伝われば」と思っているので、着色料なし、裏表なしを心掛けています。
「どこまで走りました!」的なRUNレコをあげるのも一つですし、よく書いているように、頭で考えていることや経験したこと、学んだことを書くのも一つだと思っています。
ただ、どれだけ何かの媒体に書く/撮る/残すとしても、完全に赤山雄治のコピーを残すことはできないと思っています。

当たり前ですが、ここに書いていることは、僕が起きてから寝るまでの行動から抜粋したものであり、1日の完全なコピーではありません。


昨今ではAiを中心とした技術革新が激しいですが、
どれだけこういった技術が進化しようとも、人の完全なコピーは作れないのではないでしょうか。

こういった技術は、教育することによって進歩していくらしいですが、
では、人のコピーをつくりだそうとしたときに、胎児がお腹の中にいた時の記憶をどうやってAiは学ぶのか?その時の感情は?幼少期に何をみてきたのか?何を思ったのか?感じたのか?
昔の話ではなくても、電車ですれ違った人や三日前の晩御飯、1週間前に書いたことなど、直近の記憶でさえ私たちは曖昧だったり、覚えていないことはたくさんあるのではないでしょうか。

覚えていることの中から、私たちが取捨選択してAiを教育したとしても、そもそも不完全なことしか伝えないので、自分自身のコピーは出来上がらないのです。
こう言った背景から、人間にはまだロボット(先の技術を総称して)より賦があると思います。

また、感情の面でも、嬉しいや楽しいといった喜怒哀楽だけではなく、もっとグラデーションに富んだ感情があると思います。
感情をうまく言語化することが至極困難です。そもそも言語化できにくい感情を先の技術で表現するのは到底不可能かと。

とは言いつつも、まだ技術の発展はわからないですよ。
何年か後には(もしくは明日には!?)人間の感情を再現できるロボットができるかもしれません。そう思うと、おちおち人間家業もやってられませんがw


と、ここまでAiに関する持論を述べましたが、
かといって、このブログでリアルな赤山雄治が完璧に伝わっているとも思いません。なにもしないよりかはマシかと思いますが、それを最適に伝える方法は今のところ見当たらず、その候補として動画撮影を目論んでいるという今現在、です。
また、このあたりは準備ができ次第、お伝えします!

今日もお読みいただき、ありがとうございました!

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