すべてが無意味に思えたら
なんだか今まで頑張っていたことや
やりたいと思っていたこと、やってきたことが
どうでもよく感じて、無意味に思えるときがやってきたら。
次への扉を開く時なのかもしれません。
何のためにやっているんだろう。
何を目指していたんだろう。
なんかもう、今の私にはそれが重要には思えない。
そんなときこそ、頭で色々考えず、
無理やり意味を思い出したり見出したりしようとせず、
その空虚感と無意味という感覚に浸ってみるのはいかがでしょう。
実は、そういうときは執着を手放しかけている時。
執着を手放せると、次への変化がやってきます。
執着を手放す、という言葉はポジティブに捉えられやすいですが、それがもたらす空虚感や無意味感を察知すると途端に人は恐れを感じます。
空虚感や無意味だという感覚を恐れる必要はありません。その感覚は、次へのステップを知らせるドアノックなのです。
今あなたが何を感じていようと、今まで得てきたものは何も変わらずあなたの血肉になっています。どれだけ今、無意味だと感じられてもその事実は変わりません。
なので、これから先どうしよう、と慌てふためく必要はありません。
今はただ、その空虚感を味わって楽しめばいいのです。
執着がなくなった状態ほど、軽く、心地よい状態はないのです。
ただ、普段感じていないから「未知」として恐れと結びつきやすいだけです。
今のその、軽く何もない状態を楽しむ方に、意識をチェンジしてみましょう。
空虚感を楽しんでいると、ふと、やっぱり私にはこれが必要だ、とか、逆にこれはもういいや、と整理がつきやすくなります。
何かがどうでも良くなったのなら、今までよりそれを手放しやすく、変えやすい状態であるということです。そして、新しいものもキャッチしやすいのです。
過去にしがみつく思考で、その変化の流れを遮らないようにしましょう。
また、未来を案じて今までと同じことを繰り返そうとするのではなく、今この瞬間にあるものだけを楽しみましょう。
変化を阻み、歪んだ執着を生み出すのは
いつだって過去や未来を基にした思考です。
今、そうしたいから、そうする。
この動き方だけ、決め方だけをシンプルに積み重ねていけば自ずと道は開けます。