10月9日は土偶の日
10月9日は土偶の日、「カレーもいいけど、土偶もね」ということで、
縄文の里・朝日で展示している土偶を紹介しながら、元屋敷遺跡の縄文人と土偶のはなしをしていきます。
土偶の日とは
土偶の日とは、縄文ドキドキ会により制定された縄文文化の魅力をアピールする日です。
以下、縄文ドキドキ会さん(https://jomondoki.com/dogu_no_hi/)からの引用です。
毎年10月9日をど(10)ぐう(9)の語呂合わせで「土偶の日」、10月と9月を「土偶/縄文の文化推進月間」として、 縄文ドキドキ会の前身である「土偶の日運営委員会」が提唱した記念日です。2016年から2020年までは、日本記念日協会に認定記念日として登録されていました。
縄文文化の魅力を知るきっかけとして、縄文ドキドキ会では今後も「10月9日は土偶の日」を提唱します。
なんと素敵な日、縄文を冠する当館としてはぜひともあやかりたい記念日です。
ということで、縄文の里・朝日でみることのできる土偶を紹介します。
ハート形土偶
元屋敷遺跡出土のハート形土偶
ハート形土偶は、土偶の顔の印象から名付けられた土偶です。縄文時代後期前葉(約4,000年前)の土偶です。
顔の輪郭がハート形でカワ(・∀・)イイ!!
あわせて、つぶらな目とおちょぼ口がなんともあいらしい。
大きく、たかい鼻。鼻の穴が三つのものがあります。
ハート形土偶は、こわれているものが非常に多く、全体像がわかりにくいです。
上の絵は、よくあるハート形土偶(おそらく群馬県吾妻郡東吾妻町郷原出土)の写真を参考に描いたハート形土偶です。
この全体像から、ハート形の顔、いかり肩、ひかえめ?な乳房、くびれた細いウエスト、しっかりした太い足とけっこう特徴的です。
ハート形土偶は自立しています。
ハート形土偶は上を向いています。
この事から、ハート形土偶はポジティブです(個人の感想です)。
ハート形土偶は、どこかに立てておく必要があったのでしょう。しかも、なにかを見上げています。
元屋敷遺跡では、配石遺構という石組の野外施設からハート形土偶が出土しています。
配石遺構に置いてあったようです。土偶の一つの使い方を示した例です。
元屋敷遺跡の配石遺構4000と、そこから出土したハート形土偶
夜、かがり火に照らされ、配石遺構にポツンとたたずむハート形土偶。
前に立つ縄文人と目が合うハート形土偶。
そんな場面が妄想されます。
山形土偶
元屋敷遺跡出土の山形土偶
山形土偶は、頭のかたちが山のように三角にもりあがっている土偶です。縄文時代後期中葉(約3,500年前)の土偶です。
山形土偶は、ハート形土偶から形がじょじょに変化してきたようです。
ハート形土偶から山形土偶への過渡期の土偶
上の写真の土器は、山形になりきらない頭のかたち、背中の文様がハート形土偶と同じ時期の土器文様より少し新しい文様である点からハート以上山形未満の土偶であることが考えられています。
また、ハート形土偶より引き継いだ点として、いかり肩やひかえめ?な乳房、正中線が挙げられます。
山形土偶の特徴として、頭部が△の山形である。足が短く、自立できない。この2つが大きな特徴です。
また、正中線や下腹部のふくらみといった妊婦の特徴も表現されています。
山形土偶は、ハート形土偶と違った使い方になったのかもしれません。
竪穴住居の中にねかせておいたのかもしれません。
同じ建物の中にあることで、土偶と縄文人との物理的な距離が近くなったのかもしれません。
変化する山形土偶
元屋敷遺跡出土の縄文時代後期後半の土偶
山形土偶の△の頭のかたちが変って、山形ではなくなってきた土偶です。縄文時代後期後半(約3,500年前)に作られました。
山形の頭が変化して、いろいろな形がでてきます。
縄文人のヘアースタイルを反映していると考えられています。
この時期、元屋敷遺跡では、竪穴住居の中から出土した土偶があります。
竪穴住居1003から出土した土偶
ハート形土偶が野外施設から見つかった例とは好対照に、この土偶は、竪穴住居内から出土しました。
時代がかわり、土偶も変化しているようです。ハート形土偶とちがい自立できない土偶なので、竪穴住居においてあったようです。
遮光器土偶
元屋敷遺跡出土の遮光器土偶
遮光器土偶とは、目の特徴が、雪目にならないように着けるエスキモーの遮光器(スノーゴーグル)に似ていることからのネーミングです。縄文時代晩期(約3,000年前)に作られました。
土偶の代表格、遮光器土偶。
東北中北部、岩手、青森、宮城県を中心に北海道南部から関東、中部地方までひろがりをみせる土偶です。
新潟県でも出土例があり、元屋敷遺跡からも出土しました。
本場の流麗で繊細な遮光器土偶からだいぶ省略された印象のある遮光器土偶です。
現代人をも魅了してやまない遮光器土偶は、縄文文化の集大成のような風格があります。
しかし、遮光器土偶は他地域からもちこまれた土偶であり、元屋敷遺跡で根付いた土偶もありました。
遮光器土偶と同時期の土偶
元屋敷遺跡出土の遮光器土偶と同時期の土偶
遮光器土偶と同時期である縄文時代晩期(約3,000年前)の土偶です。
蹲踞姿勢(しゃがむ格好のこと)をとる土偶です。
ひざをかかえ、体育座りするような恰好をしています。
大の字でねっころがっていた前段階の土偶とちがい、すわっています。
そして、顔が上を向いています。
ハート形土偶と同じで、どこかに置いて、なにかを見上げているという状況を想定した造りになっています。
縄文人は土偶になにを見てほしかったのでしょうか。
縄文時代終わりごろの土偶
元屋敷遺跡出土の縄文時代おわりごろの土偶
結髪形土偶といわれる土偶の仲間です。遮光器土偶の特徴である中空(中が空洞)のつくりと、元屋敷遺跡で作られていた土偶のようなT字の眉鼻になる顔の特徴を引き継いだ土偶です。いろいろな情報を合わせて土偶が形作られているのかもしれません。
この土偶は自立することは難しいのですが、顔は上を向いています。縄文人が手にもって、立たせてあげていたのでしょう。
この土偶以降、奥三面遺跡群では土偶が姿を消します。
元屋敷遺跡における土偶
土偶とは、主に縄文時代に作られた人形の土製品のことです。土偶はその特徴から女性を表現していると考えられます。
奥三面遺跡群元屋敷遺跡における土偶は、時代ごとに変化しています。しかし、よくみるとその特徴は連綿と引き継がれていることが分かります。
気になるのは、
土偶はなんのためにつくられたのか
ということではないでしょうか。
元屋敷遺跡では、配石遺構と竪穴住居、穴から出土した土偶があり、使われる場所があることが分かりました。土偶を置く場所があり、土偶を安置しておくことに意味があったのではないでしょうか。
しかし、ほとんどの土偶が、土器などが投げ込まれている、捨て場といわれるガケに置かれています。
こわれて捨てられてしまったようです。
土偶はわざとこわしているという説があります。身代わりにしているということらしいです。
しかし、元屋敷遺跡の土偶にはこわれた首や手足をアスファルトで接着したものもあります。
いづれにしても役割をおえた土偶は、役割をおえた土器とおなじようなところにおかれていたようです。
縄文人は、土偶を特定の場所に置きたい
縄文人は、土偶になにかを見せたい
縄文人は、土偶を大切にした
以上の点から導かれる答えは。。。
土偶は、縄文人のこころの支えであった
です。
縄文人の楽しい時、苦しい時、悲しい時を黙って、みつめていてくれたのが土偶です。
土偶が何なのかということは、縄文人に聞かないと分からないです。いや、当の縄文人も分からなくなっているかもしれません。現代人の我々が「あなたの苗字の意味はなに?」、「弥勒菩薩ってなんであんな格好をしているの?」と聞かれても答えに困りますよね。
土偶は、縄文人の信仰のかたちを、人のかたちで表現したものと推測されています。
土偶があらわす物語を縄文人は共有し、たとえ遠くの地域の縄文人たちとも、その物語にそった生き方やルールを守るための道具だったのでしょう。
土偶には見た目で縄文文化を表現する力があるのでしょう。だからこそ、現代人にも土偶の魅力が説明なしに伝わるのでしょう。
「土偶は分からない」ということが、縄文文化への呼び水となり、さらに分からない縄文ロマンへと誘うのです。
これを読んだあなたは、もう「土偶は分からない」から逃れられないのです。
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