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【縄文まめ知識1】土器ってなあに?

はじまり、はじまり

普段、図録やら、いろいろとnoteに掲載させていただき、見てくれる奇特な方々に感謝しかありません。

縄文の里・朝日という、しがない一資料館にも、地域のいろいろな歴史資料がたくさん保管されています。
そんな資料からいろいろとまめ知識的な感じで縄文を楽しんでいただきたく、縄文まめ知識シリーズとして、サクッと読める記事をば書かんとすといった低い志ではじめたいと思っています。

土器ってなあに?

奥三面おくみおもて遺跡群元屋敷もとやしき遺跡出土の深鉢ふかばち
縄文時代後期後葉

土器は、粘土で形作り、加熱して固めた器のことです。
日本列島の歴史の中で、土器の登場は画期的な出来事でした。
それなので、縄文土器を使った時代ということで、縄文時代と名付けられました。

縄文とは、上記の写真についてるような紐を転がしたあとのことです。

土器のなにが画期的だったのでしょうか。

土器の役割は、主に、煮炊きでした。
現在の土鍋と同じです。

縄文人からお鍋を食べ始めたんですね。

画期的な調理具クッキンググッズとして登場した土器により煮沸することで、安全で柔らかい食べ物をいただくことができるようになったのです。

また、日本列島の人々に、「お湯」というものを提供できるようにしたのです。

このお湯が作れるようになり、煮沸ができ、そして、堅果類けんかるいであるドングリやトチノミの灰汁あくきができるようになったのです。
カロリーを手に入れたのです。

そこから研鑽トライ&エラーがつまれ、灰汁抜きだけでなく、山菜を下茹したゆでして、乾燥させて、長期保存できるようになったり、牡蠣かきやアワビの干物をもどすといった食料の保管技術が生まれてきたと推測されます。

このような研鑽は、干し牡蠣の生産工場ではないかと推測される東京都の中里貝塚や竪穴建物の部材から火棚ひだながあったのではと推測されることからも裏付けられます。

土器もいろいろ

土器は、調理具とご紹介してきました。しかし、それだけではないのではないかという土器もあります。
そう、ご存知、火焔型土器。

奥三面遺跡群前田まえだ遺跡出土の火焔型土器

内外面にスス、コゲといった煮炊きに使った痕跡こんせきがありありとありますので、調理具として使ったことは確かです。

普段使いだった。。。
そういうこともあるのでしょう。
ただ、その普段の中に、火焔型土器を使うということ自体が、なんかしらの、なんかしらを、なんかしらしてそうな感じですよね。

なんとも歯切れが悪いのですが、普段の中に儀式がとりこまれている感じなんですかね。
食べる時に「いただきます」というとか、手を合わせるとか、お仏壇ぶつだんに挙げる用の器があるとか、現代でも、普段の中にある儀式がありますよね。

火焔型土器だけでなく、縄文時代の各時期、各地域に精製せいせい土器と言われる、文様を施した土器があります。

元屋敷遺跡出土の南三十稲場式土器
縄文時代後期前葉
元屋敷遺跡出土の瘤付土器第Ⅳ段階並行の土器
縄文時代後期後葉

文様は、その地域に根差し、変化していき、また、他地域の影響を受けて変わっていきます。
人の活動により変化していく文様が施される土器は、やはり、単なる調理器具という無機質なものではなく、普段の中にあり、縄文人の精神活動を表した特別な道具となっていったのです。

深鉢じゃない土器

縄文時代後期からは、さまざまな形の土器が登場します。
注口土器、台付鉢、浅鉢などといった、特別な食事会があったのではないかと推測される道具が作られるようになりました。

元屋敷遺跡出土の注口土器
縄文時代後期後葉
元屋敷遺跡出土の巻貝形片口注口土器
縄文時代後期後葉
元屋敷遺跡出土の人面付注口土器
縄文時代後期後葉
元屋敷遺跡出土の浅鉢
縄文時代晩期中葉
元屋敷遺跡出土の台付鉢
縄文時代晩期前葉
元屋敷遺跡出土の壺
縄文時代晩期前葉
元屋敷遺跡出土の単孔壺
縄文時代後期後葉
元屋敷遺跡出土の小形土器
縄文時代後期前葉

約4000年前ごろから急須形の注口土器の数が増えていきます。また、鉢や壺もその数を増やしていき、注口土器には、顔面表現があるものもあります。

日常の食事の道具ではなく、特別な状況での食事が行われていたのではないかということが、これら注口土器、台付土器といったものの登場から推測されます。

また、小形土器は、高さ約5㎝にみたないもので、精製土器と同様に施文されている小形土器もあることから、実用品ではなく、儀式におけるお供え用の道具ではないかと考えられます。

土器は、煮炊きするための深鉢から宴会や儀式をするための注口土器、壺、台付土器といった多様化が進みます。

土器から見ても、縄文時代後期、約4,000年前からは、縄文人の精神的活動がますます盛んになっていったことが分かります。

終わりに

縄文時代というネーミングの由来である縄文土器は、日本列島に堅果類や山菜などを食べることができるようにし、貯蓄できるようにした、エポックメイキングな道具でした。

土器により、縄文人に冬のための備蓄ができるようになったのです。
動物と違い、木の実、山菜などの安定してとれる場所でずっと生活することができるようになったのです。

土器により定住ができるようになり、人があつまり、情報が蓄えられ、日本列島での生存戦略と精神活動がどんどんと深化していったことがうかがえます。

土器と言うと、他の縄文遺物より地味な印象を持たれる方もいるかとは思いますが、土器は、本当にすごい道具なのです。
何万年も続いてきた、旅するリスクの高い生活様式から、安全安心な生活へと変えてくれた道具でした。

土器については、これからも
どの遺跡では、どんな料理が作られていたのか、文様の要素からどことどこの遺跡がつながっていたのか、土器を用いた儀礼とは、などなどといったことが、今後、研究の進展により、明らかにされることで、ますます縄文土器から縄文人のリアルな生活がありありと復元されていくはずです。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
あなたの縄文ライフに幾ばくかの楽しみを提供できたなら、幸甚に存じます。
また次の縄文まめ知識で。

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縄文の里・朝日
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