「鮭料理」という村上市の郷土料理
村上市鮭文化の継承プロジェクト『鮭のごちそう』に寄せて
はじめに
鮭のごちそう Traditional Salmon recipes at Echigo-Murakami.と銘打たれた本書。
本書の帯には
“鮭のまち”越後・村上。次世代へ伝えたい鮭の伝統レシピ、保存版
「鮭をまるごと一尾いただく」村上の心が伝わる37品をお届けします。
と記されています。
これは、村上鮭文化の継承プロジェクトとして、縄文の里・朝日も所属するイヨボヤの里開発公社、イヨボヤ会館が主体となって取り組んでいた事業です。その形となったものが『鮭のごちそう』なのです。
村上を流れる三面川、荒川、大川は新潟県内でも有数の鮭遡上の河川です。鮭と村上の人々との関りは深く、上記の帯に表されたとおりです。
しかし、鮭と生きた村上のくらしは、豊かな時代の中、すこしずつ失われています。キノコはどこに生えているのか、どの沢にイワナがいるのか、あの山に雲がかかると雨になるとか地元で生きた人の足跡が物質的な豊かさで埋もれてしまっています。村上の生き方である鮭と村上に生きる人々との良いつながりを継続させようという意気込みでのぞんだのが本書なのです。このような取り組みが評価され、本書は、「グッドデザイン賞2021」と「私の選んだ一品」ということで日本デザイン振興会主催のGOOD DESIGN AWARDにより表彰されました。
以下、ここでは、『鮭のごちそう』の内容を紹介していきます。
新潟県村上市と鮭との関わり
新潟県村上市は6万人ほどの人々が暮らす、新潟県最北部の市です。かつては村上藩の城下町を中心として栄えました。
自然環境としては、磐梯朝日国立公園に属する原生林をそのままに維持した豊かな山々、また豊かな山からの恵みをもたらす三面川、荒川、大川などの河川、また村上市は日本海に面しており、荒波で削られた奇岩からなる景勝地である笹川流れといった太古からの自然のいとなみを現在に見せてくれています。
歴史としても、約3万年前の旧石器時代より人々が行きかい、縄文時代、弥生時代、古墳時代、飛鳥・奈良・平安時代と現在に至るまで脈々と村上で人が息づいていた事が分かっています。戦国時代には山城である村上城が登場し、江戸時代には村上藩として繁栄していました。
この繁栄を支えたのが、鮭であったことがうかがえます。鮭と村上の人々との付き合いは、縄文時代から見てとれます。縄文時代中期中葉(約4500年前)の春木山遺跡、高平遺跡からは石錘という漁網のおもりと考えられる石器が多く出土します。近くの荒川や三面川の支流である門前川で川をのぼってきた鮭を捕っていたのでしょう。また縄文時代後晩期(約4000年~3000年前)の元屋敷遺跡からは焼けたサケ科の骨が出土しました。鮭やマスを蒸し焼きにして食べたと考えられます。
文献としては、平安時代中期(約1000年前)の『延喜式』において越後より鮭が献上されていたことが記されています。新潟県では古くから鮭を活用していたことが分かります。
三面川での鮭漁の様子を描いた図
そして、江戸時代には、村上藩の青砥武平治が鮭はまた生まれた川に帰ってくるという習性に気づき、鮭の保護増殖が進められ、安定した水揚げ量を確保することで村上藩の財源としました。
筆者の大学の恩師が村上市滝ノ前遺跡の発掘に参加した際、地元の女性たちから「昔は秋の三面川に棒を立てるとひとりでに川上に動いていった。川いっぱいに鮭がのぼってきたからだ」という話を聞いたそうです。しかし、この時は「そんなはずない」と思っていたようですが、写真などで三面川の鮭遡上の様子などを知り、「そんなことがあったのだ」と分かったとのことでした。
イヨボヤ
村上市では、鮭のことを「イヨボヤ」、イクラのことを「ハラコ」と呼んでいます。また、「イヨ」も「ボヤ」も魚という意味の方言です。魚の中の魚、King of Fishである魚ということで鮭のことをイヨボヤと呼んでいます。村上では、魚とは鮭ということです。そうなので、以降、鮭のことは「イヨボヤ」と表記します。
イヨボヤという食文化
やっとここから村上市鮭文化の継承プロジェクの一環として作られた『鮭のごちそう』を紹介していきます。
本書の構成は、「村上と鮭とのくらしについて」、「塩引き鮭について」、「家族で受け継いでいきたい鮭の伝統レシピについて」となっています。
村上とイヨボヤのかかわりについては上記にある通りであるが、本書では、写真をふんだんに用いて、歴史とともに、村上の食文化に根ざしたイヨボヤを紹介しています。ハレの料理として、七五三お祝い、年夜にイヨボヤのカマの部分を神さまにお供えする「鮭の一鰭」、正月料理としての氷頭なます、しょうゆハラコ、村上大祭には酒びたしといった形でイヨボヤが村上の食文化に大きく寄与していることを分かりやすく紹介してくれています。
塩引き鮭
また、村上のイヨボヤの食べ方に塩引き鮭というものがあります。塩引き鮭は、村上(というか我が家)では、年末から年始にかけて台所につるされて、すこしずつ身を切られて、最終的には頭と骨になり、がら汁やかす汁として食べられました。
それだけ塩引き鮭は根付いた料理であり、本書でも、製作工程を細かくポイントごとに写真付きで解説しています。
あなたと家族を結び付けてくれるイヨボヤ料理
最後に、「家族で受け継いでいきたい鮭の伝統レシピについて」ということで、37品にわたるレシピを公開しています。
イヨボヤ会館で昭和の終わりから約30年間販売され、多くの鮭料理を紹介してきた「鮭のごっつお」「続・鮭のごっつお」に掲載された伝統的な鮭料理を中心に現代の嗜好に合わせたレシピが掲載されています。
子皮煮
すぐにとりかかれそうな料理から、手間ひまかけ、その年の風や気温、湿度で味わいが変わる塩引き鮭や酒びたし、飯寿司といった伝統ある、自然とともに育むレシピまで載っています。村上の人々は、各家庭でこだわりをもって我が家の鮭料理を創造してきました。
この本は、長く使っていただきたいとの思いから紙媒体で制作しました。手順や分量、材料については、作っているうちに自分好みにアレンジしたり、作る人や食べる人に寄り添って、最後には、我が家の鮭料理として作って欲しい。
「なんだ、簡単にできるじゃないの?コツとかいらないんじゃないの?」と思う方もいらっしゃるかとは思います。
しかし、これがいいのです。
家族の力や知恵を総動員して、イヨボヤのすべてにあたる。ああしたらいいんじゃない、こうしたらいいんじゃないと磨かれてできあがる料理。また来年の年末に「あの時、こうだった、ああだった」と家族だけのひみつが語られる、このようなことが村上のイヨボヤをめぐる食文化となり、家族に受け継がれていくのです。
おわりに
塩抜き後の鮭
本書『鮭のごちそう』はまさにごちそうです。ここに載るレシピをつくるために東奔西走して材料を集め、家族でとりかかる。まさに馳走する韋駄天のごとくです。
村上では、鮭をイヨボヤとして敬愛し、その命を余さずいただくために創意工夫しています。そして、地域、家族の中では、身近で、特別な感じがないほどにイヨボヤは浸透しているのです。
イヨボヤが三面川を生まれ、旅立ち、帰ってくる営み、そして、イヨボヤの命がいろいろと形を変えてとりいれられることで人の命がつながる。イヨボヤと村上との関わり、これこそが、人が生きるということだと改めて教えられます。
イヨボヤをおいしく食べる。残さず食べる。生きる糧として命を頂いた村上のイヨボヤへの想いが本書という形でみなさんに届けられることを願います。
本書に興味を持っていただいた方は以下からご購入いただけます。
鮭のごちそう
https://iyoboya.base.shop/items/33664464
あなたの素敵な生き方と共に。