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MEMORIES~お知らせと番外編
こんにちわ。
下書きにいったん、戻していた、子供時代のことを書いたnoteを、3本だけ手直しして、マガジンに入れました。随時、手直ししてから、追加していく予定です。
日付が古いため、タイムラインに出ない幽霊noteです。
マガジン欄には『40年以上前。』と切り捨て計算で書いていますが、実際にはほぼ半世紀前のことです……。えへ^^
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ここから先は、お時間ある方だけどうぞ。番外編です。
子供だけで4時間の道中
マガジンには、到着後のことしか書いていないので、
大阪から福山まで、毎回7才と5才だけで移動した、珍道中のほんの一部を書いてみます。
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その頃、新幹線が福山まで開通したところでした。
開通はしたものの、当時最速の『ひかり』は、福山よりも手前の岡山までしか走ってくれません。
そのため、手前にある岡山で各駅停車の『こだま』に乗り換える必要がありました。
『こだま』と『ひかり』を岡山で乗り換え、乗り継いで、やっと福山です。
まずは・・・
まずは母が、新大阪まで私たち2人を連れていきます。ホームまで来てくれました。
そこで、7才の私に
『しっかり面倒、見るんやで』
と5才の弟を託します(今思うとハード)。
乗り方
『これ(と新聞紙わたされる)で、GREEN車いってもええし、食堂車で好きなもん飲んでもええ。さぁ行ってらっしゃい!』
その頃は、乗り換えの岡山まで、新大阪から1時間以上かかったので、十分時間はあったのですが、食堂車のジュースがあまり美味しくなくて、しかも結構揺れるのです。もちろん普通の電車よりはマシでしたけど。
しっかり持っていないとこぼれる。。。部厚いミックスジュースのガラスコップは、小さな手には、両手でもハラハラ。弟のジュースも見ていないといけないので、くたびれ果ててしまいます。
二度目からは、GREEN車へ行きました。
GREEN車は(高級すぎて?)、今ほど人がおらず、しかも出入りはもちろん、滞在さえ(!)も自由でした。
今ではありえませんが、帰省ラッシュシーズンには、立っている人がGREEN車内にも、ぎちぎちに詰まっていました。
GREEN車快適
GREEN車の端っこの床に、可愛い❤私たちが2人チョコンと座ってるくらい、ぜ~んぜん平気♡♥
車掌さんも、通りすがりに『どこで降りるんや?』と必ず聞いてくれて、乗り換えが近づくと、呼びに来てくれました。
うろ覚えですが、確か小学5年生の頃から、追い出されるようになりました。GREEN車のルール変更により。
不安な乗り換え
岡山で乗り換えるときが、一番緊張しました!
新幹線の本数はまだまだ少なく、一時間に1本か2本。そのため、急ぐ必要はありませんでしたが……。
どれに乗ればいいのかわからない!
待っている間にも、弟がちょろちょろします。弟の手首を強く握りすぎて、泣かれてしまい、私も泣いて、警察に保護されそうになったこともあります。
お巡りさんが来ました。決められた新幹線に乗らないといけない使命がある私は、必死で泣き止んで、残り嗚咽しながら、状況説明をしたことを覚えてます。
また、困った時は『制服を着た人を探して、聞けばいい』と、まさに制服の人に教えてもらったこともありました(その人の制服は、お勤めしている会社の制服なので、新幹線のことはわからない、と言われました)。
福山到着
無事に乗り換えがすんだら、やっとホッとします。
ここまで、母と離れてからは、約2時間半~3時間。
新聞紙に座り、ケロッとして2人で遊んでいると、福山駅到着。
新幹線からおりたら、母の双子のおばちゃんが、私たちをホームで待ちかまえています。
『〇号車の先頭に乗せたから』と、母たちは連絡をとっていたので、すぐに会えます、大体は……(ちゃんと私がそこに乗れた時だけw)
旅の仕上げ
ラストです。双子のおばちゃんが、私の父の生家まで、車で送り届けてくれます。
たいていは、新幹線車内で色んな人にいただいたお菓子や果物で、私たちの手荷物は紙袋一つくらいは増えていました。
おしまい。
父の生家で過ごした時の話は、これから少しずつ追加していきます。古いアップのリライトが終われば、タイムラインにも出るようになるとおもいますが、それまでは、水面下でそっと増えていきます。
またよろしければ、お訪ね下さい。