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結果論こそがロジックの到達点

世界でもトップクラスの企業であるグーグルは、会社内にジャングルジムがあるらしい。
多くの人間は、「やはり天才は突拍子のないことを考える」と、その奇妙な行動を評価する。

しかし、果たしてそれは、天才的な感性から生まれたものなのだろうか。


この前、「人はなぜ死ぬのか」という本を読了した。
生物の生と死の必然性について、生物学の観点から書かれた本で、まったく知識のない僕でも楽しめる本だった。

この本によると、進化というのは、たまたま生き残り続けた個体の遺伝子を、継承していくことによって起こるらしい。
つまり進化とは、結果的にそうなっただけであり、そこに何者かの意志なんてものは存在しない。

進化という、最も合理的なチューニングは、ただの結果論によって起きている。
結果論によって導き出されたロジックは、一見するとロジックに見えない。
あまりに無数の試行錯誤が重なったせいで、最もロジカルな行動であるにも関わらず、そこに連続性が見つけられず、まるで直感的に選ばれたもののように感じてしまう。



僕は最近、Xで創作論をポストしている。
そのおかげで、自分自身の創作方法を見つめ直す機会が増えた。
しかし同時に考えるのは、ポストできないような創作方法が、あまりないということだ。

何かを極めるためには、3つのフェーズがある。
1つ目は言語化。自分が今、何をしているのかを、言葉で説明できるくらい明確にすること。
2つ目は無意識化。言語化できるくらい理解できたものを、頭で考える前に、身体で表現できるようにすること。
3つ目は、無意識の言語化。無意識化を長く経験し、解像度を深めたことで、自分だけの言葉で無意識化を説明できること。


今回の結果論についての話は、おそらく4つ目のフェーズにあたる。
残り3つのフェーズは、どこまで行っても、原点に言語化できる”何か”があるからだ。

巷にあふれる方法をやり尽くし、理屈も感性も関係なく、ただ何かを試し続けていると、おそらくこの、4つ目のフェーズに辿り着く。
それができた時、きっと人は”進化”するのだろう。

僕の創作論には、まだまだ研究の余地がある。
自分の心に、ジャングルジムを建てよう。


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城島 大@小説家
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