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『三国志平話』にみる赤壁の戦い(記事114)

前回から『三国志』のクライマックスともいえる赤壁の戦いに関する記事を書いています。

『三国志演義』では、赤壁の戦いで諸葛亮に鬼神のような活躍をさせていますが、正史の記述では、諸葛亮はそれほど活躍していません。やったことといえば、孫権を説得して曹操と戦う決意をさせたくらいです。

『三国志演義』は明代の羅貫中が作者です。しかし羅貫中が正史『三国志』を脚色して突然『三国志演義』を生み出したのではありません。それ以前に三国時代をあつかった元曲(戯曲)や小説などが存在しており、その集大成として『三国志演義』が完成しました。

明代の前の元の時代に既に存在していた小説の中で、『三国志平話』は『三国志演義』の前身として特に知られています。

ということで、今回は『三国志平話』における赤壁の戦いを見てみます。

赤壁の戦いで諸葛亮が智謀を披露した場面といえば、
「草船借箭」と「借東風」
の故事が有名です。

「草船借箭」というのは、周瑜に「十日以内に十万本の矢を作れ」という無理難題をふっかけられた諸葛亮が、三日で曹操軍から十万本の矢を奪った、という話しです。
この話は、正史『三国志』の『蜀書・諸葛亮伝』には記述がありません。
『呉書・呉主伝(孫権伝)』の注釈(裴松之注)に、曹操が濡須の孫権を攻めた時の出来事として似た話が紹介されています。
それによると、孫権が大船に乗って曹操軍を視察した時、曹操が弓弩を乱発して孫権の船を攻撃しました。船の片側が矢で重くなって傾いたため、孫権は船の向きを変えて反対側にも矢を受けさせ、船の重さが左右均等になってから帰還しました。

『三国志演義』ではこれを赤壁の戦いの前にもってきており、しかも諸葛亮が矢を得るための策略としています。

では、『三国志平話』ではどうなっているかというと、面白いことに、船を指揮しているのは諸葛亮ではなく、周瑜です。
赤壁の戦いの前に、曹操と周瑜がそれぞれ小さな船団を率いて江上で対話しました。その後、周瑜が船団を還しましたが、曹操軍の蒯越と蔡瑁が周瑜の後を追いました。そこで、周瑜は船団の向きを変えて曹操軍に矢を放ちました。これに対して蒯越等も矢を放って応じます。
すると周瑜は帳を使って船に幕を張り、船の左側で矢を受けさせてから、向きを変えて右側を曹操軍に向けました。
周瑜が引き上げる時には船が矢でいっぱいになっており、百万以上の矢を得ることができました。喜んだ周瑜は「丞相(曹操)よ、矢に感謝するぞ(丞相謝箭)」と言いました。
それを聞いた曹操は怒って翌日、周瑜と再戦しましたが、大敗しました。
曹操は心中で「孫権には周瑜がおり、劉備には諸葛がいるのに、私だけはこの一身しかない」と考え、軍師を探すことにしました。

以上が『三国志平話』に描かれた「草船借箭」の話です。

この後、曹操は仙人のような風体の蒋幹という人物に出会うのですが、蒋幹は周瑜と黄蓋の策に騙されて赤壁の大敗を招くことになります。

このように『三国志演義』で諸葛亮が智謀を発揮した「草船借箭」は、正史では孫権、『三国志平話』では周瑜がやったことになっており、諸葛亮は一切関係ありませんでした。

次に「借東風」を見てみますが、その前に、『三国志演義』では周瑜と諸葛亮が曹操を破る策をそれぞれの手に書く、という場面があります。二人とも「火」と書いて意見が一致するのですが、『三国志平話』では大きく異なります。
まず、手に策を書くのは周瑜と諸葛亮だけでなく、呉の群臣も参加しています。そして、周瑜と群臣が手に「火」と書いて喜ぶ中、諸葛亮だけ「風」と書いています。
諸葛亮はこう言いました「これ(火計)は元帥(周瑜)の良計ですが、火を放つ時、我々は東南におり、曹操は西北にいます。もし風向きが順じていなかったら、どうして曹操を破ることができるでしょう。」
周瑜が「風雨というのは天の陰陽が作り出すものだ。あなたに風を起こすことができるのか?」と問うと、諸葛亮は「戦いの日には一陣の東南の風によって手助けしましょう」と答えます。

こうして諸葛亮が東南の風を呼ぶことになり、黄蓋が曹操への投降を偽って火計を実行し、赤壁で曹操軍が大敗して、蒋幹は曹操の部下たちに惨殺されることになります。

さて、前回も書きましたが、民国時代に『後漢演義(中国歴朝通俗演義の一部)』を書いた蔡東藩は、『三国志演義』には作り話が多いことを指摘しており、中でも諸葛亮が風を呼んだ話は特に荒唐無稽であると評しています。
実はその『後漢演義』にも諸葛亮が東南の風を呼ぶ場面が描かれているのですが、蔡東藩は「諸葛亮はもとから天文を理解しており、冬至の頃になったら東南の風が吹くことを確信していた」と種明かしをしています。
但し、この種明かしの根拠が蔡東藩の推測なのか、何か元になる記述があるのかはわかりません。

以上、『三国志平話』における赤壁の戦いを眺めてきました。
『三国志演義』が描く赤壁の戦いは諸葛亮の独壇場で、周瑜は完全に諸葛亮の引き立て役に徹していますが、『三国志平話』では、まだまだ周瑜の智略が目立っており、最後に諸葛亮がいいとこどりした印象があります。この違いはなかなか面白いと感じました。

最後に、『三国志平話』はここで見ることができます(正式名称は『至治新刊全相平話三国志』です)。






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サノマ(中国生活をつづったり、写真・画像を整理するノート)
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