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この「陳寿」は『三国志』の「陳寿」?夫婦の話(記事77)

中国史で「陳寿」といえば、『三国志』の作者です。
日本で「夏目漱石」といえば有名な小説をたくさん残したあの人ですし、「宮沢賢治」といえば有名な童話をたくさん残したあの人だ、というように、中国史で「陳寿」といえば間違いなく『三国志』の作者を連想します。

明代に編纂された『情史』という男女の仲を描いた短編故事集に「陳寿」という人物が出てきます。

おおよその内容は…
ある女性が陳寿に嫁ぐことになりましたが、結婚前に陳寿が大病(原文は「癩疾」)を患ってしまったため、女性の父が婚姻を中止しようとしました。ところが女性は泣いて父に反対し、陳寿と結婚してしまいました。
陳寿は自分の病が重いため、妻に近づくこともできませんでしたが、妻は三年の間、心変わりすることなく陳寿につかえました。
しかし陳寿は、自分の病がよくなることはないと思い、また、妻の負担になり続けるわけにはいかないと考えて、こっそりヒ素(原文は「砒」)を購入しました。
それを知った妻は、陳寿に見つからないようにヒ素を半分に分けて、飲んでしまいました。
半分のヒ素を飲んだ陳寿は大量に嘔吐した後、病が突然治癒しました。
妻も服毒してから嘔吐したため、命を落としませんでした。
夫婦はその後、年をとるまで一緒に暮らし、二人の子も生まれ、家も日に日に栄えていきました。
人々は婦人の貞烈に対する報いだと評価しました。

以上が『情史(巻十・霊類)』の内容です。
この陳寿が『三国志』の作者だったら、『三国志』ファンとしてちょっと嬉しいです。
でも、『情史』にはいつの時代の人か書かれていません。実は冒頭に「陳寿、分宜の人」と書かれているので、90%以上の確率で『三国志』の陳寿とは別人だろうなあ、と思っています(『三国志』の陳寿は巴西安漢の人です)。

ちなみに、『晋書(巻八十二・陳寿伝)』を見ると、陳寿は父が死んだばかりの頃、病にかかっています。但し、この時、陳寿は婢(下女、召使い)に丸薬を作らせていて、来訪した客にそれを見られたため、人々から批難されました。当時の風習では、親の喪中に肉を食べたり酒を飲んだら不孝とみなされており、寝室で寝たり、娯楽に興じたり、女色を近づけることも禁忌とされていました。陳寿が薬を作って自分の体を優先したことが不孝な行為とみなされたようです(歴史は好きですが、つくづく生きている時代が今でよかった、と思います)。

どうやら『情史』の陳寿は『三国志』の陳寿とは別人のようですが、夫婦のいい話に出会えたのは収穫でした。

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サノマ(中国生活をつづったり、写真・画像を整理するノート)
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