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世界から色がなくなる時

気をぬくといつもこうだ。

頭の中があれやこれやで一杯になっている。
細かいことを気にせずに処理できる人ならすぐに消化できるであろう大抵のことが、僕の頭を占拠し続ける。

頭の中だけだったら、まだいい。
その頭の中に溜まったもののうち一つでも不安や悲しみがあれば、それはたちまちじわーっと頭の中を侵食していって、あらゆる思考をネガティブに変える。そして気づいた時には、心まで重たくなって、頑張って足を進めないと前に進めないみたいな精神状態になっている。

残念ながらその状態は知らぬ間に訪ねてきて、知らぬ間に居座ってるんだけど、自分のわがままを少し聞いてやれるようになってからは、この性格とも少しはうまく付き合えるようになった気もしている。


自然に生きることを忘れてる

気分が落ち込む時の傾向を説明するとしたら、この言葉がしっくりくる。歩いている時も、お風呂に入っているときも、「あれどうしよう」と何か常々考えている。考えることそのものは悪いことではないけれど、心の声と頭の正解が噛み合ってなくて、答えのない問いにうんうん悩んでるだけの状態に陥っている。その時はいつも、目の前の景色は彩りをなくしている。

視界に入っているであろう個性豊かな色も、耳に入っているはずの幸せな音色も記憶に残っていない。そんなことを感じてる暇はないと押さえ込まれているかのように。

だから、「世界はこんな色をしてたんだ」と思えた時は、少しホッとする。自分が感じていることにちゃんとYesを出してあげられている証拠だから。自然の音色を楽しみ、自然に感じる心を取り戻した時、心は豊かになる。



そんなことを考えながらも再びやってきたその沈んだ状態に、「明日からどう立て直そう」なんて思っていたけれど、その気持ちはどこへ行ったのやら、1日経ったら「こんなに見えてる景色が色付いたのは久しぶりだ」なんて思ってしまうのだから、本当に心というのはマイペースなやつだ。

道端で転んだ子どもが、一度は泣き叫んだもののすぐに立ち上がって新しいものに目移りして元気になる様を見かけるけど、まさにそんな感じ。

実際は沈んだ感情も心の中に並存しているんだけれど、なんだか活気付いて未来に希望を感じれる、それはすごくハッピーなことだなぁと思う。


心はまだ、子どもでいたいのかもしれないな…なんていい感じにまとめたかったけれど、よく考えてみれば、小学校に入る頃の僕は、泣き始めたらすぐに泣き止むタイプではなかった。全力で泣き叫んで、周りを困らせるまで泣いて、周りが心配して構ってくれてやっと元気になる。
感情を自分の内側だけでコントロールするのが苦手だったのか、他人より感受性が豊かだったのか、全身で悲しみをアピールしてた周りに振り向いてくれないと気が済まない、周りからしたら面倒な子だった気がする。

そんな泣き虫だったのに、いつからかピタッと泣くことをやめた。
何がきっかけだったかは思い出せないけれど、まだ一桁の年にしては大人になろうという大きな覚悟だった気もする。

ただ、感情を100%外に出さないと気が済まない子どもだったのに、周りの目を気にして、気持ちを外に表現しないようにして押し殺して生きてきたのだとしたらと思うと、ゾッとする。


世界から色がなくなること。

自分以外の人の目には、世界はどんな色で映っているんだろうな。

真実なんて誰にも分からないけど、僕は思考にまみれて世界から色がなくなってしまうようなことは、出来ればなくしたい。ずっとその彩りを感じて、表現しきれない時があったとしても、出来る限りその気持ちを表現してやりたい。いま心の中で感じている、形はないけれど確かにあるそのリアルを、ちゃんと受け止めたいと思う。

そして他の誰かも、見えているはずのその世界の色を見失ってるんだとしたら、こんな素敵な色がしてるんだねと、その輝きを一緒に愛でたいと思う。

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