余裕を持つって大事なこと
ここ最近毎日のようにカレンダーとにらめっこしているけれど、眉をひそめることしかできないでいる。
時間が足らない。
いくらあっても足りない。
やりたいことの時間に対する空き時間が全然足らない。
フルタイム勤務じゃなくなれば、もう少し時間が確保できるかと思っていたけれど、甘かった。
考えることが大量にあってどれだけの時間がかかるか分からない。やるべきことや考えるべきことが山のように出てきて、正直会社を辞める前より追われてる感がある。
思いついたことを頭から順にこなしていては、いつまでたっても終わりが見えず、少なくとも4月は余裕なくて潰されるなと思ったので、今日は久しぶりに文章を書くことにした。
新しい働き方がスタートしてから、もうじき2週間経つ。
4月1日に「エイプリルフールだから本当のこと書く気になれない」なんて呟いていたけれど、未だにその報告ができていないのは、ほんとは言葉にする準備が整っていなかったからなんだと思う。
正確に言えば、内向きの文章は大量に書いている。
外向けの文章を書く心の準備ができていないというべきなのかもしれない。
「質を低くても毎日書いた方がいい」なんて意見があるかもしれないけど、僕は誰かに読んでもらうからには、受け取って欲しい気持ちを丁寧に紡ぎたいというスタンスでいる。
だからこそ、毎日丁寧に文章を紡いでいる人に対しては尊敬の言葉しか出ないのだけれど。
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スタンスなんてかっこいい言葉を使ったけれど、現状を「うまくまわってる」と表現するには、かなり無理がある。
一言にまとめるなら、「統一病」にかかっているのかもしれない。
外向けの文章が書けないこの状態に名前を付けるなら、これがふさわしいように思う。
要は、同じ毛色の文章を投稿したいという気持ち。
「これまでこんな風に書いて受け入れてもらえたから、同じような文章を書いた方が読んでもらえるかな」という気持ち。
この気持ちは、同じタイプのポケモンで手持ちを揃えたいトレーナーのようなもので、別に悪でもなんでもない。
ただこの気持ちが先行しすぎてしまうことによって、「どんなジャンルの文章でも気軽に投稿しようかな」という気持ちが削がれてしまっている。
自分の書きたい文章のイメージがかなり明確にあるなら、別にそれでいいと思う。でも、それが定かではないのにコンセプトばかり意識してしまっては、試せるものも試せなくなってしまう。
こんなこと書いてると、頭の中のおっちゃんが「そもそも君の文章にコンセプトなんてあったの?」なんてツッコミをかけてきそうだけど、自分の中でなんとなく「こういうの」があるんだから、こればかりは仕方がない。
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そんな状態に陥りながら今日「4月からの新しい働き方」について書かずにこんな文章を書いてるのは、「書くこと」へのハードルを下げたいと思ったから。
「書きたい」という気持ちと「書けない」という気持ちで頭の中がぐちゃぐちゃになっていたから、これはまずいと。一旦出した方がいいなと思った。
大事な報告は丁寧に書きたいもの。けど、それがあまりにも丁寧に書こうとしすぎて、自分に負荷ばかりかけてしまえば本末転倒というか。
書きたいことがどんどん書けずじまいでリアルタイムを逃していくのは、なんだか日々産まれている命を無責任に川に流しているような切ない気持ちになって、さすがにここらで食い止めたいなと思ったから。
今こうして文章を書いてる内も、色々な脱線ネタが頭の中でひゅんひゅんと頭をよぎってる。
「書けない原因を考察する仕立ての方が整理されそうだ」とか、「質と量についてもっと触れたい」とか「統一病について、インスタとかでも同じ現象が起きてるな」とか。
でも、今日は気持ちを切り替える文章を書きたいなと思ったので、余計なことは考えないように頭の隅に追いやってやる。また思い出したタイミングで書いてやるから。
細かいことを気にしない人にとっては、「何言ってんの、とりあえず書きゃいいやん」という感じかもしれない。
けど、僕は毎度のようにこういう小さなことをいちいち気にしてしまうし、でもその度に繊細な心のことを知れるので、それはそれでいいかなと思ってる。「だからこそ書ける優しい文章もあるのではないか」なんて甘っちょろい考え方をしてしまうのは、ストイックになりきれないことの発端なのかもしれないな。
明日から、コンセプトは気にせず書くことにするので、楽しみに待っててね。
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